2013年6月19日水曜日

リンゴにまつわる話3

リンゴ園農家の主人は、「犯人」がまさか村の名士の校長先生とは知らなかった。あんな大声など出すのではなかった、とホゾをかむ思いだったが、もう遅かった。

校長先生のゆかたの帯はほどけてしまい、汚れたフンドシがむき出しになっていた。事情を知った人の良い駐在巡査は、青年たちに「先生をお宅にお連れしろ」と命じた。

事件にするようなことではないと考えたからだ。あたりには、リンゴのさわやかな香りが一面に漂っていた。

青年が二人で校長先生を両脇からかかえあげた。力がぬけてしまっていたせいで、先生はやせていたのに、妙に重かった。青年たちは、まるで先生をひきずるように、先生を抱えて歩いて行った。

巡査も心配してうしろからついていった。リンゴ園の主人も、みんなから離れるわけにいかず、一緒にいた。

一行は村を二つにわけている線路にさしかかった。踏切は少し高いところにあった。
そのとき、力が抜けていた校長先生が、どこにそんな力が残っていたかと思われる勢いで青年たちをふりきって、踏切に駆け上がった。

そして、汚らしいフンドシからしなびた陰嚢をひっぱりだし、それをペタリと線路の上にのせ、線路のまわりに転がっている石を片手に握りしめ、それで陰嚢を叩き潰そうとした。

死のうとしたのである。

青年たちは「先生、やめてください!」 と叫びながら、一人は校長先生の手をつかまえ、もう一人は先生を羽交い絞めにしておさえた。

やがて、フラリと立ち上がった先生は、ゆかたの前はすっかりあいたまま、フンドシからは貧弱な陰茎としなびた陰嚢とをすっかり露出したまま、「おーんおんおん」と泣き出した。

やがて一行は、先生の家についた。何事かと驚く奥さんに、駐在巡査はことの次第を話した。ことばを選んで、奥さんを不必要に刺激しないように気を配ったことはいうまでもない。

校長先生はもう泣き止み、畳の上でくたっとしていた。一行の一人が、この陰うつな気分を少しでも変えようと、その年の稲作の見通しなどを口にしたりした。

ふと気が付くと、校長先生の姿がない。

先生があまり静かにしていたので、みんな気が付かなかったのだ。

先生は隣室で、あの汚らしいフンドシを高いところにくくりつけ、それで首を吊っていた。

みんなは急いで先生をふとんに寝かせ、すぐに診療所の医者を呼んだ。医者は先生の瞳孔を見たり、脈をとったりしたが、暗い顔で頭を横に振った。先生は亡くなっていた。

一同は、何かたまらない気持ちで、呆(ほう)けたようになっている奥さんにお悔やみを言った。

巡査も制帽を脱いでかしこまり、奥さんに悔みをのべ、リンゴ園の主人も同じようにした。奥さんは、あいさつを返す気力も失せていた。

***

そのあと、校長先生の未亡人とこどもたちはどうなったか、幼い私にはわからなかった。
ただ、こどもながら、何ともやりきれない気持ちになった。暗い夜空にむかって叫び出したいような気分になった。

私はリンゴは好きだが、その香りをかいだり、食べたりするたびに、この悲しい事件を思い出さないではいられない。

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