2013年6月7日金曜日

マルグリット・モーリーのこと その2

マルグリット・モーリー(1895~1968)は、世紀末のオーストリア、ウィーンで生まれた。

父親は羽振りのよい実業家で、ウィーンで活動していたクリムトら世紀末芸術家のスポンサーまでやっていたが、事業の失敗から自殺し、残された妻子は苦しい生活を強いられた。

しかしマルグリット(正式にはマルガレーテ・ケーニヒ)の偉いところは、父親のように人生を投げ出さず、苦しいい生活を送りながら、懸命に医学の勉強をし、外科医の助手になった。これは当時の女性のつける最高の職種だった。

話は前後するが、父を失ったマルグリットは10代で結婚し、こどもも生まれた。

しかし、第一次大戦で夫は戦死し、こどもも幼くして亡くなってしまった。マルグリットは、その児の写真を生涯肌身離さなかったという。ちょっと泣かせる。

こんな辛い境遇にありながら、必死で難しい医学の勉学に打ち込んだマルグリットは偉かった。女性としての辛さと戦い、女性のハンデを逆手にとって、医学的教養をもつエステティシャンとして、再婚した夫のひたすらな援助のもと、コスメトロジーに新境地を開いた。今日のエステティシャンで、彼女ほど勉強し、技術を磨いた女性はいるだろうか。

とても男には真似できないしぶとさ (男は弱いからこそ、逆にいばってみせているのだ)ですよ。
ここではしなくも彼女はルネ=モーリス・ガットフォセの唱えた「アロマテラピー」なる自然療法を知ることになった。それからのことは、前述したので、今回は省略させていただく。思いついたらまた書く事にする。

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