と、耳敏いリンゴ園の主人が、「コラーッ」と、どなって家から飛び出してきた。
近くの家々の青年たちが、リンゴ園の主人の大声を聞きつけて、家から何人か出てきた。
リンゴ園の主人は、てっきり村の悪童どもがリンゴを盗みに来たのかと思ったのだった。だが、主人が見たのは、ヘタヘタと地面にへたりこんでしまった、村の名士の校長先生だった。
その懐からは、リンゴが数個、コロコロと転がり出した。先生は、もう腰がぬけてしまっていた。
無理もない。戦争中は文部省に命じられるまま、懸命に毎日、児童たちに「神州不滅、大日本帝国万歳」と叫びつづけてきた校長先生、それがだしぬけに敗戦を迎え、訳も分からぬまま「民主主義」とやらを占領軍におしつけられ、「カリキュラム」だの「ガイダンス」だのと聞いたこともない異国語の教育方針できりきりまいさせられ、そのうえ、恐ろしい空腹でもう半分正気を失っていた校長先生だ。
「体をじょうぶにしよう(ムリにきまっているのに)」
とか
「他人のものを盗んだりしないように」
とかといったことしか教えるのが精いっぱいだったおとなしい校長先生である。その先生が、飢えの極みからとはいえ、こどものためとはいえ、他人のものを盗み、人びとにみつかってしまったのだ。
折悪しく、村の駐在巡査も近くにいて、先生をとりかこんでいる村人に加わった。
校長先生は、いままで自分が築き上げてきた世界が、そして何よりも自分自身がガラガラと音を立てて崩れるのを骨の髄から感じたに違いない。
リンゴにまつわる話3につづき
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