2013年6月11日火曜日

「ヒッピー」とティスランドたちのこと


ヒッピーは、1960年代、米英で主として白人中流家庭の青年が、いまのホームレスとは異なり、家をただ飛び出し、近代合理主義自体を哲学なしに否定して、折からのベトナム戦争に反対した連中だ。

私は、ヒッピーというものが、本当に現代の戦争で儲ける人間に、心底から反対し、また、黒人を人間として認めることを強く主張したなら、そして白色人種中心主義を否定したなら、ヒッピーをよしとしたろう。

しかし、彼らは黒人差別主義、世の貧富の格差を何とも思わなかった。彼らは現状を「何となく否定し、哲学が貧困なまま」、どう世の中を変革していくかを突き詰めて考えていなかった、小金持ちのお坊ちゃん、お嬢ちゃんなのである。
だからLSDなんていう高価なドラッグにふけって、一日中ブラブラしてられたのだ。

 ヒッピーに黒人はいない。このことに注意してほしい。
彼らは、食っていくのがやっとだったからだ。黒人歌手、ギターの鬼才、ジミ・ヘンドリックスは黒人だが、白人青年むけに白人たちの手で売り出された人間であり、彼はヒッピーではない。いわば、サル回しの芸達者なサル同然の黒人だった。

女性歌手、ジャニス・ジョプリンは、白人にちがいないが、どう現状を変えていけばよいのかわからなかった。ジミ・ヘンドリックスは黒人たちからは黒人を裏切り、白人にへつらう裏切り者とされ、苦しんだ。彼は黒人公民権獲得運動もしていたのだが。当時は救急車も黒人だと搬送もしなかった。病院も黒人をうけいれなかった。

多くのヒッピーは、ベトナム戦争が米国の敗北に終ると、旧態のままの社会体制、社会通念の世界に戻ってしまった。IT技術に関連して大儲けした人間もいたし、ビートルズのように歌手として大金持ちになったものもいた。

白人のジャニス・ジョプリンは、現状に反抗するすべを知らぬまま、ヘロインで現実から逃避し、結果として自殺同様に、27歳で死んだ。

ジミ・ヘンドリックスはヒッピーにすらなれぬまま、やはり薬物死した。同じく27歳だった。
この2人は舞台でのパフォーマンス以外には反抗のすべを見いだせぬまま、ヒッピー的人生を最後まで全うして「筋を通した」人間だった。

しかし、ロバート・ティスランドやその妻マギーたちは、たんなる流行に乗って自然医学をかじるヒッピーにすぎなかった。そして、流行の終りとともに、その運動の本質もケロリと忘れて俗物になり果てて、アロマテラピーで一儲けした。「地金がでた」というべきだろう。

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