2013年6月18日火曜日

正しく表現することの重要さ

何であれ、ものごとは、できるだけ正確に把握し、理解し、それを表現しなければ、あとあとまで人びとを誤解させてしまう原因になる。

私は前述した著書のなかで、ルネ=モーリス・ガットフォセが「アロマテラピー」を着想するキッカケとなった「火傷事件」の真相を詳しく述べた。

このこと自体は、さほど重要なことではない。しかし、この事件すら正しく知らない人間が、アロマテラピーを的確に把握しているとは信じられないので、この事件について、関係者からできるだけ詳細にその真相を問いただした次第だ。

私の学んだ大学は、外国文学や外国語にウエイトをおいて勉強した。
それをもとに、私たち学生は、原文で世界の名作を厳密に読み、文学にせよ、哲学にせよ、名訳として通用しているものがいかに誤訳だらけかを思い知らされた。

また、人名の発音も、インチキが多いこともわかった。

たとえば、大デュマの傑作の『モンテ・クリスト伯』の主人公のダンテスの不倶戴天の仇の一人、Morcerf伯(かつてのフェルナン・モンデゴ)は、「モルセルフ」と発音すべきなのだが、どの本も岩波文庫の山内義雄訳を踏襲しているため、「モルセール」という誤った発音がまかり通ってしまった。

ものごとは可能な限りに正確に表現すべきだということは、私は経済学の先生から教わった。
私たちは、お金を出し合い、大学当局にかけあって教室を確保し、他大学の有名な経済学の教授にお願いしてプライベートな講義をしていただいた。

先生は厳密かつ、科学的に経済学用語を使うことの大切さをじっくり説かれた。
ひとしきり話がすんだところで、先生は突然、

「私は、大便をしたいのですが」

といわれた。
私たちは誰ひとり笑うものなどなく、

「先生、ダイベンでございますね。ショウベンではございませんね」

ときっちり、先生に確認して、便所にお連れした。化粧室だの手洗いだのというあいまいな表現はいけないということを、先生は身をもって示されたのだ。

「言行一致」とはまさにこのことである。

私たちは、みな粛然としていた。

先生の大便は時間がかかった。長かったなどというと誤解を生じかねない。

翻訳をなりわいの一部にするようになった私は、言語表現自体としては問題があろうとも、原著者の心を心として、その考えを力の及ぶかぎり正しく読者に伝えることに心血を注いだ。

「文字は殺し、精神は生かす」ということばがある。それを体しつつ、「大便はダイベンなり」をモットーとして、私はさまざまな言語と分野との翻訳に努めてきたし、これからもそうしていくつもりである。

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