2013年7月4日木曜日

精油などの成分崇拝主義について考える

前回、全体論・還元論についてお話した。

精油の成分分析結果というものは、分析手順や分析法、分析条件を確認した後に試験結果を考察して読み込み、結果(成分表)を理解する必要がある。

精油のびんに成分表が添付されていたからといって、どういう根拠でそれが信頼できると思うのか。それは、分析機関の名をはっきりさせているのか。分析法や細かな分析条件も明確なのか。
分析結果も読めないのに、それが間違いないとよくわかるものだとつくづく感心する。本来ならば、クロマトグラムやその結果(分析対象の成分(標準物質)の試験結果とセットにして示されたもの)を再検証するスキルが必要なのだが。

クロマトグラフによる分析は、成分の同定(化合物が何であるかを調べる)と定量(含有量を計る)するものである。
まず。同定すべき明確な濃度の標準成分検体のピーク保持時間(リテンションタイム)と、ピーク面積を計測する。
次に一定の濃度に調整した試験検体のクロマトグラムを計測する。そして、分析すべき成分の検出されるピーク保持時間から成分名を同定し、ピーク面積の大きさと調整した濃度と標準成分濃度から含有率を割出す。
そのような、方法で無数ともいえる成分ピークの同定と含有率の割出しが物理的にできるはずもない。費用も時間も労力もキリがないだろう。


精油は、含まれる諸成分が単独で独立した効果をそれぞれ単純に相加的に発揮するものではない。その成分構成も、年々歳々微妙に変化する(ワインのように年により香りの変化がある)。

ラベンダーを例にとってみよう。ラベンダー油の8割くらいは、リナリルアセテートとリナロールでできている。そこで、合成リナリルアセテートと合成リナロールとを合わせて、アロマテラピーに使用すれば、ずいぶん安上がりに合成精油ができる。

だが、これでは、まるきり効果がないのだ。

リナリルアセテートとリナロール以外のラベンダー油の成分は20年ぐらい前には、100種とか200種とかと海外で出版された本に記されていた。

その後の分析技術の発展により、ラベンダー油の成分は800種にまで跳ね上がった。もうすぐ1000種を突破することは間違いなかろう。

それらの成分はむろんのこと名もついていないものが大多数である。

そうした成分は、人間の体にさまざまに複雑にはたらきかけ、総合的に効果を発揮するのだ。

いま、わかっている成分を知っても、それですべてがわかるわけがない。私たち人間は永遠に真理にはたどりつけないのである。

個々の成分が、効果を発揮するものではない。
天然の精油であれば、主成分のほかの何千何万もの未知の成分が人体にデリケートに作用して、効果を発揮する。そのプロセスをこそ、ふかく究めなくてはならない。

つまり、ジャン・バルネ博士のいう「トータルな精油を信頼しよう」とのことばに、私は全面的に賛成する。

精油に含まれている成分をことごとく調べあげるのは、現在の技術をもってしては非常に困難で不可能に近いのだ。
現在、しかじかの精油が有効性を発揮するなら、その諸成分が、どのように人体に作用して、効果を示すのか。それは、容易に判るものではない。
判らないものに屁理屈などをつけてもしかたがない。

そこは研究に研究を重ねるしかない。判らないものは判らないと正直に認めよう。

天然の薬物(中医学の生薬を含めて)年々歳々、成分比率が微妙に変わる(ワインのように葡萄の収穫年により、味わいや香りの変化があるのと同様)。しかし、それでよいのだ。
天然薬物は、人体に入ると人体の異常に対して、崩れたバランスを元に戻す力がある。例えば、ある中医薬の生薬(紅花・川芎・丹参・乳香・没薬・血竭など)は高血圧にも低血圧にも作用し有効性を現わす。それが天然自然の薬物の特色であり、精油の特色も同様である。しかも、これらは正しく使う限り副作用もなく、習慣性も伴わない。

還元論と全体論とは、一見正反対だが、じつはコインの表裏といえる。つまり、天然であり、正しい方法をもって採油したものならば、同じ原料であっても年々歳々、成分比率が微妙に変化がある精油・アブソリュート、超臨界流体二酸化炭素抽出物(俗にいうCO2抽出物)が採れる。しかしながら基本的に作用特性は変わらない。精油などの特性は、単純に「成分+成分+成分 …+成分」という式で表せるものではないし、その必要もない。

ラベンダー油に限っても、あと1000年の間にどれほどの成分が発見されるかわからない。
精油などの揮発性の化合物が無数に集まったものは、そのもの全体で特性を発揮しているものであり、主要成分だけでは説明できない作用を持っている。無数の化合物が相互作用を起こしながら精油全体で作用し有効性も発揮しているのである。
あほらしい成分至上主義、成分崇拝主義は捨てよう。

ローマ時代のギリシャ人の名医、ディオスコリデスについてのジャン・バルネ博士のことばを紹介しておこう。

“私(ジャン・バルネ博士)は、アンリ・ポアンカレの
『説明できないから否定するほど非科学的なことはない』
 と、いう言葉を思いおこす。

ディオスコリデスを模倣しつづけよう。
ディオスコリデスは「医学におけるものごとは、その意味と結果によってのみ評価され、考察される」と考えて、腫瘍にたいしてイヌサフラン(コルチカム)を使い、それから19世紀のちの1934年のイヌサフランのアルカロイド、コルヒチンの発見を待たなかったのである。 ”


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