1895年にオーストリアのウィーンに生まれ、1968年にロンドンで、愛弟子、ダニエル・ライマンにみとられて脳卒中で死去したマルグリット・モーリー。彼女は、夫のホメオパシー医、モーリーの影響をうけ、また20世紀前半当時の芸術的な時代思潮の影響のもと、「クライアントを陶酔させる」ことをめざす(なんとなく魔術的ムードがある)独自のアロマテラピーを構築し、これを静かに、あたかも「秘教(エゾテリズム)」を弘布するように人々にひっそりとこれを教え、施術した。こんなところに、藤田忠男博士などが「ウサン臭さ」をお感じになるのかも知れない。
これが、大戦後にロンドンから次第にひろまっていった「アロマセラピー」の中心的なテクニックの地位を占めることになる。しかし、その手柄を横取りするように、突如として人びとの前に現れたジャン・バルネ博士の著作などをネタにThe Art of Aromatherapy をものした(藤田忠男博士は「ありゃ、何人かでかいたもんですよ」といっておられる)ロバート・ティスランドなるヒッピーあがりの男が人々の注目をマルグリットをおしのけて一身に浴びるようになった。
これに、モーリー夫人の弟子たち(ダニエル・ライマン、シャーリー・プライス、ミシュリーヌ・アルシエら)は大あわてで国際アロマセラピスト連盟(IFA)をつくって対抗した。(り)
2013年5月30日木曜日
モーリー夫人
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