2013年6月19日水曜日

リンゴにまつわる話2

と、耳敏いリンゴ園の主人が、「コラーッ」と、どなって家から飛び出してきた。

近くの家々の青年たちが、リンゴ園の主人の大声を聞きつけて、家から何人か出てきた。
リンゴ園の主人は、てっきり村の悪童どもがリンゴを盗みに来たのかと思ったのだった。だが、主人が見たのは、ヘタヘタと地面にへたりこんでしまった、村の名士の校長先生だった。

その懐からは、リンゴが数個、コロコロと転がり出した。先生は、もう腰がぬけてしまっていた。

無理もない。戦争中は文部省に命じられるまま、懸命に毎日、児童たちに「神州不滅、大日本帝国万歳」と叫びつづけてきた校長先生、それがだしぬけに敗戦を迎え、訳も分からぬまま「民主主義」とやらを占領軍におしつけられ、「カリキュラム」だの「ガイダンス」だのと聞いたこともない異国語の教育方針できりきりまいさせられ、そのうえ、恐ろしい空腹でもう半分正気を失っていた校長先生だ。

「体をじょうぶにしよう(ムリにきまっているのに)」

とか

「他人のものを盗んだりしないように」

とかといったことしか教えるのが精いっぱいだったおとなしい校長先生である。その先生が、飢えの極みからとはいえ、こどものためとはいえ、他人のものを盗み、人びとにみつかってしまったのだ。

折悪しく、村の駐在巡査も近くにいて、先生をとりかこんでいる村人に加わった。

校長先生は、いままで自分が築き上げてきた世界が、そして何よりも自分自身がガラガラと音を立てて崩れるのを骨の髄から感じたに違いない。

リンゴにまつわる話3につづき

リンゴにまつわる話1

香り・匂いをコトバで直截(ちょくせつ)に表現するのは、原理的に不可能である。

「鼻にツンとくる酢のような匂い」

「腐った卵のような悪臭」

「魚のハラワタが腐敗したようなむっとくるいやな匂い」

「青葉若葉のむせ返るような匂い」

「青リンゴを食べた時の風味を思わせる匂い」

などと、たとえをもちだして人に想像させるしかない。
青リンゴはこうした例によく持ち出される。

***

スーパーマーケットなどにリンゴが並ぶ頃になると、私はそのさわやかな香りを嗅いで何とも言いようのない悲しい思い出がうかんでくるのを、おしとどめることができない。

***

幼い私は、1943年に長野県北部の新潟県境に近い町に東京から空襲を避けて疎開していた。

小学校(当時は国民学校と呼んだ)2年のときに敗戦を迎えた。この頃のことはもう思い出したくないつらい記憶ばかりだ。

まず、食べるものがない。カボチャは実はもとより、葉も茎もツルまでも食べた。さつまいもも同様だった。雑草も、たいてい口にした。私が食べられる野草にやたら詳しくなったのも、このときの経験からだ。私はガリガリにやせ細って、目玉ばかりギョロつかせていた。
その町からかなり離れた村に、国民学校の分校があった。村の中央を一時間に一本ぐらいの割で通過する鉄道の線路が走っていて、これが村を二分していた。駐在所・診療所もあったが、淋しい村だった。

飢えていたのは、私のようなこどもばかりではない。米作農家の人間はべつとして、 おとなもほとんどみんな、腹をすかせていた。

長野県はリンゴの名産地の一つである。この寒村にもリンゴ園をもつ農家が一軒あった。嵐が吹き荒れた翌朝などには、まだ小さな青リンゴがかなり遠くまで吹き飛ばされてくる。村のこどもたちは争って、そのしぶく、まずい未熟なリンゴをひろって、大人にみつからぬようにコソコソ食う。

でも、こどもにとっては、何よりもおいしいものだった。
ウメの実同然、バラ科の未熟果は有毒だ。だがそんなことを気にするものはいなかった。

リンゴが熟しかけると、一つ一つの果実に紙袋をかける。その紙袋をかける直前のことだったか直後のことだったかわからない。その村の分校の校長先生が、ある夜、格別の用もないのに浴衣姿でふらふらと家をでた。

自分自身の空腹は樹の皮をかじっても、水を飲むだけでも、何とかガマンできる。

しかし、先生には4人も子供がいて
「おなかがすいたよう」と泣く。その声を聞くのがつらくて、先生は家をあとにしたのだった。

先生の月給は1300円ぐらい。米一升(1.8リットル)は380円程度だった。これで、一家六人が一ヶ月くいつなぐのは大変だった。

先生はリンゴ園のそばを通りがかった。空きっ腹で、泣いているこどもたちのことを考えずにいられなかった先生は、道にむかって「とってください」といわんばかりに枝を伸ばしているリンゴの枝から思わず2個か3個のリンゴをもぎ取って懐に入れてしまった。

しんと静まり返った村である。 校長先生がリンゴを枝からもぎ取る音が、バカに大きくあたりに響いた。

リンゴにまつわる話2 に続きます)


2013年6月18日火曜日

正しく表現することの重要さ

何であれ、ものごとは、できるだけ正確に把握し、理解し、それを表現しなければ、あとあとまで人びとを誤解させてしまう原因になる。

私は前述した著書のなかで、ルネ=モーリス・ガットフォセが「アロマテラピー」を着想するキッカケとなった「火傷事件」の真相を詳しく述べた。

このこと自体は、さほど重要なことではない。しかし、この事件すら正しく知らない人間が、アロマテラピーを的確に把握しているとは信じられないので、この事件について、関係者からできるだけ詳細にその真相を問いただした次第だ。

私の学んだ大学は、外国文学や外国語にウエイトをおいて勉強した。
それをもとに、私たち学生は、原文で世界の名作を厳密に読み、文学にせよ、哲学にせよ、名訳として通用しているものがいかに誤訳だらけかを思い知らされた。

また、人名の発音も、インチキが多いこともわかった。

たとえば、大デュマの傑作の『モンテ・クリスト伯』の主人公のダンテスの不倶戴天の仇の一人、Morcerf伯(かつてのフェルナン・モンデゴ)は、「モルセルフ」と発音すべきなのだが、どの本も岩波文庫の山内義雄訳を踏襲しているため、「モルセール」という誤った発音がまかり通ってしまった。

ものごとは可能な限りに正確に表現すべきだということは、私は経済学の先生から教わった。
私たちは、お金を出し合い、大学当局にかけあって教室を確保し、他大学の有名な経済学の教授にお願いしてプライベートな講義をしていただいた。

先生は厳密かつ、科学的に経済学用語を使うことの大切さをじっくり説かれた。
ひとしきり話がすんだところで、先生は突然、

「私は、大便をしたいのですが」

といわれた。
私たちは誰ひとり笑うものなどなく、

「先生、ダイベンでございますね。ショウベンではございませんね」

ときっちり、先生に確認して、便所にお連れした。化粧室だの手洗いだのというあいまいな表現はいけないということを、先生は身をもって示されたのだ。

「言行一致」とはまさにこのことである。

私たちは、みな粛然としていた。

先生の大便は時間がかかった。長かったなどというと誤解を生じかねない。

翻訳をなりわいの一部にするようになった私は、言語表現自体としては問題があろうとも、原著者の心を心として、その考えを力の及ぶかぎり正しく読者に伝えることに心血を注いだ。

「文字は殺し、精神は生かす」ということばがある。それを体しつつ、「大便はダイベンなり」をモットーとして、私はさまざまな言語と分野との翻訳に努めてきたし、これからもそうしていくつもりである。

2013年6月17日月曜日

アロマテラピーの本質について

私は、本年5月に『誰も言わなかったアロマテラピーの本質(エッセンス)』という本を出版した。
この本は、刊行されてすぐさま発売停止になった。
(なぜかアマゾンと楽天とでは販売された)

私はむしろ、その事態を嬉しく思った。どこの圧力か知らないが、言論の自由がある日本で、軍国主義時代の日本やナチズム下のドイツ、スターリニズムの圧制下にあったソ連のように、著書の存在を恐れる勢力によって、その発売を禁止されるというのは、私のような、たかが「アロマテラピー」についてのささやかな書物をものしたにすぎない人間にとっては、むしろたいへん名誉なことだと考えたからだ。

アマゾンや楽天などでこの本を買った人々には、10冊、20冊とまとめて購入する人が多かったと聞く。「幻の本になるから、いま1500円のこの書物は一冊一万円くらいになるだろう」といっていたとか。

そんなことは、私にはどうでもよい。それよりも原稿をじっくりと読み、校正を三回も丁寧に行って、目を通してくださり、製本を決意された出版社社長の悲憤の念はいかばかりか。

こんな不当な圧力に屈せざるを得なかった、同社社長の無念のお気持ちは察するに余りある。

また、アマゾンで運よくこの本を買われた方々は、みなこの書物(これでも削りに削られたのだ。某方面からの脅迫で)を高く評価してくださった。

だが、楽天で購入した人間のたった一件の「批判」は、「著者の思い込みが激しい。頭が固い云々」など、およそ批判の名に値しないものだった。

この方に申し上げる。

だいたい人間が怒ってものを言ったり書いたりするときは、何か自分に弱みがあるときだ。
それに、ご自分のそんな感想を羅列しても、私の所論自体の批判にまるきりなっていない。
もう少し論理的にものを考える習慣をつけられよ。
あなたの「批判」は、私に毛ほどの傷も与えない。

小学生でもこんなトンチンカンな理論は展開しまい。

小学校に入りなおすことを心からお勧めする、といっても、あまり効果は期待できないが。

2013年6月15日土曜日

女の香りの詩

Les cheveux(髪の毛)

Remy de GOURMONT (1858-1915) ルミ・ドゥ・グールモン

豊かな知識と、さまざまな趣味の持ち主で、フランス象徴主義文芸の推進者の一人、 ルミ・ドゥ・グールモンは、哲学・思想・文学に関する評論で有名な人物(1858~1915)。
詩人としても、新鮮な感性と官能性に裏打ちされた作品を残した。

この詩は、男からみた女の魅力の一面を鮮烈に描きだした、私にとって忘れられないフランス詩のひとつである。

***

Simone, il y a un grand mystère
Dans la forêt de tes cheveux.
(シモーヌよ、君の髪の毛の森のなかには
大きな謎が隠れている)

Tu sens le foin, tu sens la pierre
Où des bêtes se sont posées ;
(君は干し草の匂い、けものが身を置いたあとの
石の匂いがする)

Tu sens le cuir, tu sens le blé,
Quand il vient d'être vanné ;
(君は革の匂い、箕(み)でよりわけられたばかりの
小麦の匂いがする)

Tu sens le bois, tu sens le pain
Qu'on apporte le matin ;
(君は林の匂い、朝に運ばれてくる
パンの匂いがする)

Tu sens les fleurs qui ont poussé
Le long d'un mur abandonné ;
(君は打ち捨てられた壁に沿って
生えだした花々の匂いがする)

Tu sens la ronce, tu sens le lierre
Qui a été lavé par la pluie ;
(君は木苺の匂い、雨に洗われた
きづたの匂いがする)

Tu sens le jonc et la fougère
Qu'on fauche à la tombée de la nuit ;
(君は日の暮れ方に鎌でかられる
燈心草と羊歯[シダ]の匂いがする)

Tu sens la ronce, tu sens la mousse,
(君は柊[ヒイラギ]の匂い、苔の匂いがする)

Tu sens l'herbe mourante et rousse
(君は生垣のかげで次々と実を落とす)

Qui s'égrène à l'ombre des haies ;
(赤茶色に枯れかけた雑草の匂いがする)

Tu sens l'ortie et le genêt,
(君は蕁麻[イラクサ]とえにしだの匂いがする)

Tu sens le trèfle, tu sens le lait ;
(君はクローバーの匂い、ミルクの匂いがする)

Tu sens le fenouil et l'anis ;
(君は茴香[ウイキョウ、フェンネル]とアニスの匂いがする

Tu sens les noix, tu sens les fruits
Qui sont bien mûrs et que l'on cueille ;
(君はくるみの匂い、
熟れきって摘み取られる果物の匂いがする)

Tu sens le saule et le tilleul
Quand ils ont des fleurs plein les feuilles ;
(君は葉むら一杯に花をつけたときの柳と菩提樹の匂いがする)

Tu sens le miel, tu sens la vie
Qui se promène dans les prairies ;
(君は蜜の匂い、牧場の草原をさまよい歩くいのちの匂いがする)

Tu sens la terre et la rivière ;
(君は土と川の匂いがする)

Tu sens l'amour, tu sens le feu.
(君は愛の匂い、火の匂いがする)

Simone, il y a un grand mystère
(シモーヌよ、君の髪の毛の森のなかには、

Dans la forêt de tes cheveux.
大きな謎が隠れている)

***

そう、男性は女性の発する匂いには極めて敏感なのだ。安物の香水や、安っぽい香料などで香りづけしたヘア用品などとは即刻縁を切られたい。

それらはすべて、あなたの生来のセクシーで魅力的な匂いを消し、彼のあなたへの愛を徐々に殺していく恐ろしい敵なのだから。

2013年6月13日木曜日

アロマテラピーへの道

私は、この「語録」を通じて、自分が28年前に日本にはじめて体系的に導入したアロマテラピー(これを芳香療法と私は訳した)について、あれこれを思い浮かべるところの、吉田兼好流にいえば「よしなしごと」を、しかし、いまこのテラピーを学ぼうとする人びとに、いつか何らかの形で役立つと考えることを書き綴ってきた。

これからも、これを続けていく。

人は、私を「日本のアロマテラピーの父」などと呼んだりする。私は、そのつど、顔を赤くして、「とんでもない。私は植物と植物を用いた療法上で、フランスの『AROMATHERAPIE、アロマテラピー』 に遭遇したまでですよ」と、へどもど答える。

うまい受け答えなどとてもできない私である。

いわんや、これを商売に結びつけ、精油を売ったり、いかにも権威ありげな協会を作って会員を集め、その会員から大金をまきあげたりして、大儲けしようなどという意欲を持つ才能は、私には全く欠けている。

その点、マイナス的意味で、天才的といってもよいほどだ。

その絶対値はアインシュタイン以上だろう。

でも、一口にアロマテラピーを紹介するといっても、これは大しごとだ。もともとフランス語やフランス文学やフランス哲学などを勉強してきた私である。懸命になって、医学・薬学・生理学・化学・生化学そのほかの知識を頭に入れなくてはならない。日夜、寝食を忘れて努力に努力を重ねた。

チョモランマの頂上を極めた方々からすれば、せいぜい八ヶ岳に登った程度の私だろう。けれども、私には一種の使命感があった。

私の母は、クロラムフェニコールという抗生物質の副作用の造血機能不全で苦しんで死んだ。聞けば、二万人から三万人に一人、そうした副作用が出るのは、当局としては織り込み済みだったそうだ。

確かに三万人と一人とをはかりにかければ、 一人なんてネグリジブルな数字、統計上の数字だろう。けれど、私にとってはたった一人の母だ。こんな悲しみを人びとに与えぬ医学・薬学はないものか。

それがアロマテラピーへと私と突き進ませる原点となった。

2013年6月12日水曜日

妊娠とアロマテラピー

妊娠中にアロマテラピーをみずから行ったり、その施術をうけたりしても問題はないか、と不安を覚える女性は少なからずいる。

しかし、まず統計的原則を頭にいれて頂きたい。

いまここに、100組の若い男女のカップルがいるとすれば、そのうち1組は、生涯こどもをもつことはできない。

100人の妊婦がいればそのうちの1人ないし2人はかならず流産する。

その大半は、胎児の遺伝子の異常に起因する。

100人の新生児がいれば、そのうちの最低1人はやがて統合失調症(精神分裂病、schizophrenia スキゾフレニア)になる運命にある。

つまり、私がいいたいのは、妊婦の一部はアロマテラピーを行っているとかどうとかということは「全く無関係に」必然的に流産するという事実が存在するということだ。

いろいろな本には、妊娠時に避けるべき精油は、アニス、バジル、クラリセージ、サイプレス、ペパーミント、バラ、ローズマリー、ジュニパー、etc.と書いてあるが、マウスなどの実験動物を対象にして、通常の人間が用いる量に換算すれば、100倍もの精油を腹腔注入したりして得られた結果など、ナンセンスに等しい。

妊娠中は、芳香浴し、芳香の蒸気を吸入して、気分を和らげることが、むしろ望ましい。
ある女性は「流産がこわくて庭のハーブにも近づけない」などと嘆いていた。

ハーブや精油などの力で流産する胎児は、ほかの原因でも容易に流産するはずだ。自然は、「これはしくじったな」と思ったら、胎児を流産させ、母体を守り、再度の妊娠に備えさせる。

用いる精油が天然の、それも十分に有効な成分をもつものであれば、平常どおりアロマテラピーを妊婦が行ってもよほど特殊な精油でもない限り、まず差し支えない。

なかには、妊娠中には絶対にアロマテラピーを行わないうえに、一切香水をつけないという女性もいる。そうすれば安心だというなら、そうして頂いて結構。

アロマテラピーは、人から強制されてするものではない。

求める人が自分からすすんで行うテラピーなのだから。