蜂窩織炎(ほうかしきえん)の思い出と「セルライト」とについて
私が、アロマテラピー などというものに関心を寄せるようになる以前のことだ。
私は自宅の風呂場で転んで、左足の甲をしたたか打ってしまった。もちろん痛かった。
しかし、その痛みはほどなく鎮まり、内出血も大したことがなくてすみ、なに不自由なく歩けた。
ところが、数日して困ったことがおきた。打撲した左足の甲がプックリふくれあがってしまった。痛みはべつにない。でも、靴が履けなくなったのである。
私は会社勤めをしていたので、やむなくサンダル履きで出勤した。だが、左足の甲のふくれ(炎症など一切伴わなかったので、「腫脹」とはあえて呼ばずにおこう)はますますひどくなり、どうしても医者にみてもらわなくてはならないはめになった。なにしろ、左足の甲の上に大きなマンジュウを載せたようになってしまったのだから。
そこで、私は勤め先の会社に近い東京・御茶の水の順天堂医院に行って、診察してもらった。その順天堂医院の医師は「ああ、これは左足の筋肉組織に水がたまったんだな」と、こともなげに言って、注射器の針を、皮膚にアルコール消毒もしないままブッスリと刺しこみ、その水を抜いた。
だがしかしだ。私たちの皮膚には、体全体にわたって、連鎖球菌やブドウ球菌などの細菌が常在している。この細菌は、私たちが一度沐浴して石けんで体をていねいに洗い流せば、ほとんどすべて落ちてしまうが、12時間もすれば、またもとどおり増殖して体をおおいつくす。
この細菌どもは、人間の皮脂などを栄養にして生きていて、べつに私たちに悪さはしない。それどころか、私たちの皮膚のpHを健康な弱酸性に保ち、悪質な細菌の侵入から人体を守ってくれている。
でも、注射などを行う際には、この常在菌も体内に入れては危険だ。だから、まともな医師・看護師なら注射針を挿入するのに先立って、針の入る付近の皮膚をアルコールで消毒するのがふつうである。
ところが、この順天堂医院の医師は、こんな私などに消毒措置を講じるなんて、天に順(したが)う者にふさわしくないと思ったのだろう。そこで、皮膚の常在菌を足の甲の筋肉の非常に深い部分に埋めこんだのですよ。
この常在菌は「悪さはしない」とさっき言ったけれども、それは皮膚の表面であれば、ということで、それを足の結合組織の深部に入れられてはたまらない。常在菌は快適な環境を与えられ、どっと大繁殖する。
私は、すぐに左足全体が猛烈に腫れあがって痛みだし、悪寒(おかん)がしはじめ、高熱に襲われた。体が戦慄(せんりつ)した。
私は家の中でも立つことがまったくできなくなり、小便もシビンを使わなければならなかった。患部には膿瘍(のうよう)が形成された。すぐに、患部を切開して排膿する必要がある。ほうっておけば、敗血症をおこしかねない。
みなさん、これが英語でcellulitis(セリュライティス)、日本語で蜂窩織炎、あるいは蜂巣炎、蜂巣織炎などという症状なんですよ。これを、この順天堂医院の医師は、誰の目にも明々白々な医療過誤によっておこしたわけだ。
そこで、この医師は私に手術をせざるを得なかった。手術のあと、私は入院しなければならなくなった。でも、この順天堂医院は満床で、私などを入院させる余裕などないと、いけしゃあしゃあとその医師は言った。
そして、この順天堂医院の医師は恩着せがましく、「オレの知っている病院を紹介してやろう」とおっしゃった。
そして、東京のはずれの淋しいいなかの病院で、私は2週間近く入院するハメになった。松葉杖というものを生まれてはじめて使ってトイレに通わなければならなかった。痛くて痛くてつらかったね。
で、まあやっと退院する日が来て、もう一度順天堂医院に行った私は、私をこんな目にあわせた医師に再会した。
ところがだ。この医師、ひとことも私にあやまらない。入院料も手術代も薬代も、さあすぐ払えというのですよ。恐れ入ったね、このずうずうしさ。医者になるとこんな言行もきっと楽しくなってくるのだろう。
裁判に訴えても、とても私には勝ちめはない。原告側の証人となって、その医師の行為は明らかな医療過誤だと主張してくれる医師は、日本には一人もいないのだ。みんなスネにキズもつ身だからとしか思えませんよ、私には。医学的知識のない弁護士なんか、屁のツッパリにもならない。
私は泣く泣く医療費を払った(これが順天堂医院の創立者の医療理念なんだろう)。そして、せめて、保険会社に出す診断書を書いて下さいといったら、いやいやそうにその順天堂医院の医師は診断書だけは書いた。自分の過誤だなどとは一切記さない診断書だ。しかも、その診断書代もバッチリ取られましたよ。みなさん、医者になっておけば、何をしたって、もうかるのだから、医者ほどステキな商売はない。
それはともかく、このcellulitis(セリュライティス)という病名をよく見てほしい。cellulはラテン語で小室、房すなわち細胞の、ということで、また、”tis”という語尾は、ギリシャ語由来で「○○炎」の炎という意味である。
ところで、英国や米国などのエステ業界・健康食品業界でも、一時cellulitisなるコトバがはやった。
これは、中年女性の皮下脂肪組織に老廃物や水分が滞留した状態(とくに尻、太もも、腹部)だとされた。相撲取りの体の女性版と思えばよい。しかも、これは男性には絶対に出ない「症状」だという。
私も、英米のアロマテラピー書を訳しはじめた当初、ロバート・ティスランドの本も含めて、やたらにこのことばにぶつかって、「ヘンだなあ」と思った。この症状の発現には女性ホルモンがからんでいるとされていたからだ。だが、私はれっきとした男性だ。
当然、英米の医学界からは「バカなことをいうな。それはcellulitisではない。ただのデブの美称じゃないか!」と猛反発がおこった。
サァ、エステ業界の連中は困りました。でも、どこの国にもアタマの良い、というか悪賢い奴らはいるものだ。このcellulitisは、フランス語ではcellulite(セリュリット)という。
米国のあるエステサロンのオーナーが、「そうだ。これでいこう!」と思いついた。このフランス語を借用して、これをセルライトなどという英語ともフランス語ともつかぬヘンチクリンな発音でごまかして読んで、この女性のホルモンがらみの脂肪太りを表現したのだ。
そう言われては、医師たちも苦々しく思いながらも、ホコを収めざるを得なかった。
フランスでは、この女性の太ももに出る「症状」をとくにculotte de cheval(キュロット・ドゥ・シュヴァル〔乗馬ズボン〕)と俗に表現している。
医学界では、これが果たして本当に医療を必要とする病的症状かどうか、いまだに決着していない。
エステ業界は、健康食品業界とならんで、怪しげな部分がある世界だ、とつくづく思わされる例の一つである。