2019年1月31日木曜日

高山林太郎の遺言-イベントのお知らせ

高山林太郎の遺言-アロマセラピストに遺したメッセージ

「これからの日本アロマテラピーに私たちは何をすべきか」


ブログ管理人よりお知らせです。
2019/3/30に最後のブログ原稿となった遺作の発表イベントを行います。
と同時にブログ内容で高山林太郎が問いかけたセラピストへのメッセージに応えるべく、参加者とのディスカッションを行います。

ゲストにグリーンフラスコ林真一郎先生をお迎えします。




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アロマテラピー研究室の生みの親、高山林太郎氏は、2015年9月26日に亡くなる1ヶ月前、私たちを自宅へ呼び寄せました。体力がなく記述するのが困難であったため、ブログ記事を口述によって記録させるためでした。私たちは、ビデオを回しながら口述をPCで打ち込みました。

その内容は、戦争を体験し、さらに70年代に訳したマルクスやレーニン、周恩来にまつわる書などを彷彿させる言葉を含み、アロマテラピーに留まらず、生涯の集大成ともいえるものであったと…死期を悟っていたのか、今、読み返してみるとまさに遺言でした。

85年に高山氏によって翻訳された『アロマテラピー―〈芳香療法〉の理論と実際 (ロバート ティスランド著)』を機に、アロマテラピーは、日本に広く知られていきました。絶版となった『ジャン・バルネ博士の植物‐芳香療法』、2018/09/25に第2版が出版された『精油の安全性ガイド』、多くのアロマセラピストたちの当時のバイブルともいえる『フランス・アロマテラピー大全』など30冊あまりの書籍に携わり、『アロマテラピーのための84の精油』は、未だにベストセラーな書籍の一つです。


これらの訳本や著書が日本のアロマテラピーの発展に大きな役割を担ったことは言うまでもありません。しかし、高山氏は、その日本的なアロマテラピーに対して、最後の最後まで悔やんでいたことも事実でした。本文には次の言葉があります。

「私たちは子孫に対してより良い未来を残すそういう義務がある。」

最後のブログ記事となるはずであった原稿をみなさまにシェアするとともに、「これからの日本アロマテラピーに私たちは何をすべきか」協会や団体の小さな世界を超えて、参加者と共に考えていきたいと思います。

特別ゲストとして、グリーンフラスコの林 真一郎先生をお迎えしました。
今も尚、日本のアロマテラピーをけん引される林先生は、その昔、高山林太郎氏の授業にも参加した一人です。30年以上、日本のアロマテラピーを見つづけた林先生の目に映る「アロマテラピー」とはどんなものなのか、その歴史と変遷を踏まえたお話は、みなさんの心にどう届くでしょうか?

昨今では、香料の強い商品から「香害」という言葉が生まれました。精油や香料の成分による化学物質過敏症も問題視されています。また、アロマテラピー人口が増えるとともに、その使い方の是非の議論も巻き起こっています。書籍やweb、団体、商業サロンの推奨する情報は果たしてどこまで信用できるでしょうか。アロマセラピストでさえ認識していないかもしれない精油やキャリアオイルの情報について、私たちはどう向き合っていけば良いのでしょうか。

このイベントは、参加者が一方的に聞くだけの会ではありません。
情報を貰うだけを目的とした方はご遠慮ください。
アロマテラピーに携わる方々、アロマセラピストとして施術される方々が、どのような意見を持ち合わせているのか、普段語り合う機会のないみなさまとともに共有しあい、高山林太郎氏のメッセージと林先生のお話を受けて、これからの日本のアロマテラピーを考えていく会にしたいと願っています。

「今、実に携わっておられるアロマセラピストのみなさんたちは、もっと良い考えをお持ちのことだろうと私は期待する。ぜひそういう良い考えをみなさんから募りたい。それが私の心からの願いである。」 高山林太郎

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内容
・高山林太郎 最後のブログ原稿の発表
・ゲスト 林 真一郎先生のお話
・参加者によるグループワークとまとめ
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ゲスト 林 真一郎先生 プロフィール
薬剤師・臨床検査技師

東邦大学薬学部薬学科卒業。1985年グリーンフラスコ株式会社設立。 医師・鍼灸マッサージ師・助産師・薬剤師などとネットワークを作り、情報交換を行いながらホリスティック医学としてのアロマテラピーやハーブ療法の普及に取り組んでいる。
日本のアロマテラピー・植物療法の老舗であり代表の一つといえばグリーンフラスコ。グリーンフラスコを立ち上げる前から、高山林太郎氏と親交があったという。常に新しいことにチャレンジし、古くはweb上でハーブや精油のデータベースを構築・発信し、医療関係者向けに専門部会を立ち上げ緑の医学の啓蒙を図る。どこよりも早くハンドトリートメントや、国産精油を広めた活動は目を見張るものがある。近年では「医療大麻」についてその有用性に言及し、世界の動向にスピード感をもって発信し続けている。

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会場へのアクセス
スペイシー(貸し会議室)

東京都中央区日本橋本町四丁目15-10 古川ビル6F

JR総武本線 新日本橋 8番出口 徒歩2分
日比谷線 小伝馬町 4番出口 徒歩2分
銀座線・半蔵門線 三越前 A9出口 徒歩6分
JR総武線快速線 馬喰町 2番出口 徒歩6分
都営新宿線 馬喰横山 A2出口 徒歩8分
JR神田 東口 徒歩10分

定員
30名(先着順)

参加費 6000円

募集期間:2019年1月30日(水) 00:00〜2019年3月21日(木)

申込期限
2019/3/21(木)

参加費振込先
ゆうちょ銀行 記号10090 番号 71321511
アロマテラピー研究室(アロマテラピーケンキュウシツ)

●他金融機関からお振込みの場合
ゆうちょ銀行
【店名】店名〇〇八(読み ゼロゼロハチ)
【店番】008 
【預金種目】普通預金 
【口座番号】7132151
【口座名義人】アロマテラピー研究室(アロマテラピーケンキュウシツ)

振込期限
申込日から10日以内にお振込みをお願い致します。
申込期限3/21にお申込の場合、3/25着金でお振込みをお願い致します。

キャンセル料について
申込日~46日前(2/12) 全額返金
45日前(2/13)~31日前(2/28) 25%
30日前(2/28)~10日前(3/20) 50%
9日前(3/21)~ 当日 100%
キャンセルをされる場合は、速やかにご連絡いただきますようお願い致します。
返金事務手数料540円(振込手数料含む)を引いた額を口座より返金致します。
ご友人等へのお席の譲渡は、キャンセル料はかかりません。その際はご一報ください。

※申込とお振込みをもってお席を確保いたします。先着順です。

お申込はこちら(1/30より受付)↓
https://www.kokuchpro.com/event/aromalabo190330/

2015年9月28日月曜日

ブログ管理者よりお知らせ 訃報 高山林太郎先生

いつも『R 林太郎語録』をご覧いただきありがとうございます。

2015年9月26日 当ブログ筆者の高山林太郎が逝去いたしました。
ここに生前のご厚誼に深謝し、謹んでお知らせ申し上げます。

初夏に体調を崩し、闘病中でありましたが、ブログへの執筆意欲は衰えず、
ペンを取れない状況にあっても、口述によって原文を用意し最後の最後まで、
ブログの更新を望んでおりました。

また、どんな状況に於いても、現代の日本のアロマテラピーが、
正しい情報によって、発展することを願っておりました。

1985年に『The Art of AROMATHERAPY アロマテラピー<芳香療法>の理論と実際』を
翻訳して以来、自分が翻訳した内容によって、誤った情報が流布されたことを悔やみ、
それらを改めて広めることを願っていました。

翻訳する際には、正しいニュアンスであることを丹念に推敲し、
時には著者の元へ赴き調べ上げ、その探究心は留まることを知りませんでした。

このブログを開設するきっかけとなった著書
『誰も言わなかった、アロマテラピーの《本質:エッセンス》』を、
新たに修正して書籍とする準備も進めておりました。
それらが叶わなかったことが大変口惜しい限りです。

ブログに未掲載の原稿がまだ残っております。
いつしか、その原稿を記載できる時まで、お待ちいただけると幸いです。

なお、お問い合わせいただいた件は、順次わかる範囲でお答えしていきますので、
今しばらくお待ちくださいますようお願い申し上げます。

安らかなご冥福をみなさまと共にお祈りしたいと存じます。

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通夜、告別式の日程は以下の通りです。

通夜
9月29日 18:00~19:00

告別式
9月30日 11:00~12:00

場所
富士見ヶ丘駅前ホール

住所
東京都杉並区高井戸西2-8-1

交通
井の頭線 富士見ヶ丘駅前

電話
03-5344-4949


2015年7月7日火曜日

ティートリー油についてもっと詳しく-2

この記事は、前回の「ティートリー油についてもっと詳しく-1」の続きです。

以上のほかに、セスキテルペン類が10種以上(その総量は0.2%)、酸化セスキテルペン類が4種、未知の成分が20種以上(0.1%)含まれている。市販のティートリー油には、ヘキサノール、アリルヘキサノエート、カンファー、ピペリトンが添加されていることが多い。

ティートリー油は、通常、皮膚に適用され、皮膚から体内に吸収される。
一般に分子のサイズが小さいほど、皮膚に吸収されやすい。したがって、ティートリー油は、たとえばオリーブ油などよりはるかに経皮吸収されやすい。

ティートリー油は、未希釈のまま皮膚にすりこむと、数分のうちに皮膚内部に吸収される。この吸収されるスピードは、皮膚の温度に依存し、皮膚温が高いほど吸収される速度は高まる。肌が暖かいほど、毛孔は開き、皮脂腺・汗腺などの活動も盛んになり、血流も勢いが増大する。
ティートリー油は、組成成分の協働・相乗効果により、いっそうその吸収される速度がアップされる。

ティートリー油も、質のよいものとよくないものとが市販されているのが現状である。ここで、平均的なティートリー油のMIC値(微生物の最小発育阻止濃度)を示したい。ティートリー油は大半の病原性のグラム陰性菌、グラム陽性菌ならびに真菌にたいして、0.25~1.0%v/v(体積濃度)のレンジで効果を示す。

In vitroでの数百回に及ぶ試験により、ティートリー油(<シネオール分<5%、テルピネン-4-オール分>40%のもの)は、下記のものを含む広いスペクトラムの微生物に効果を示す極めて効果的な精油であることがわかった。

・グラム陰性菌(ならびにそれに有効なティートリー油量をv/vで示す)
Escherichia coli (大腸菌) 0.25-0.5
Klebsiella pneumoniae (肺炎桿菌) 1.0-2.0
Citrobacter spp. (腸内細菌科の一属でクエン酸を炭素源として利用
する運動性細菌類)
0.5-1.0
Shigella sonnei (ゾンネ赤痢菌) 0.5
Proteus mirabilis (プロテウス属菌) 0.5-1.0
Legionella spp. (レジオネラ属の肺炎菌類) <0.75-1.0
Pseudomonas aeruginosa (シュードモナス属の緑膿菌) 2.0-5.0
Pseudomonas fluorescens (シュードモナス属の細菌。
土・水・腐敗した食物などに見出されるもの)
5.0
Vibrio fluvialis (ビブリオ属の食中毒菌) 0.625

・グラム陽性菌
Staphylococcus aureus (黄色ブドウ球菌。
中毒性ショック症候群をおこし、それに伴って、
腎・肝・中枢神経の各種症状を惹起し、また
蜂窩織炎、膿血症、肺炎、髄膜炎、心内膜炎などを
生じさせる病原性菌)
0.25-1.25
Staphylococcus epidermidis (表皮ブドウ球菌) 0.5-2.5
Listeria monocytogenes (リステリア菌) 0.75
Micrococcus luteus (髄膜炎菌の原因菌) 0.75

・真菌類
Trichophyton mentagrophytes (毛瘡白癬菌。
イヌ、ウマ、ウサギ、マウス、ラット、キツネ、
ヒトなどで皮膚糸状菌症を発症させる真菌)
0.75
T.rubrum (紅色白癬菌。足白癬や股部白癬、
爪の感染症の原因真菌)
0.5
Aspergillus niger (黒色アスペルギルス。
病原性をもつことは稀。外耳道にみられる)
1.0
Aspergillus flavus (黄色アスペルギルス。
ヒトや動物類に侵襲性アスペルギルス症をおこす)
0.25-0.75
Candida albicans (カンジダアルビカンス。
体内の微生物叢のバランスが崩れたり、
自己免疫力が低下したときに、粘膜感染症、
心内膜炎、敗血症、髄膜炎を含む
重い致命的な多様な疾患を引きおこす)
0.25-1.25
Microsporum canis (イヌ小胞子菌。
イヌ・ネコの白癬の主要となり、ヒトにも感染する)
1.0
Microsporum gypseum (石膏状小胞子菌。
イヌ・ウマの皮膚糸状菌症の原因となる)
1.0
Penicillium spp. (ペニキリウム属。
ペニシリンを産生するものもあれば、
病原性のものもある)
0.75

(注)抗真菌力の強い精油はあまりないので、その意味でもとくにティートリー油の存在は貴重である。

2015年6月26日金曜日

ティートリー油についてもっと詳しく-1

ティートリーというオセアニア原産の木本植物から抽出された精油は、この高木自体がヨーロッパ人に知られてからの歴史も浅く、香料原料とされてこなかったこともあり、アロマテラピーでもまだまだ、それにふさわしい扱いをうけていないように思う。
そこで、このティートリー油について、いくつか思いつくままに、それの特色、注目すべき点、身近な利用法などについて、2回にわたって載せてみようと考えている。

フトモモ科(Myrtaceae)には、何千もの種・亜種が含まれる。この科の植物のほとんどが、エッセンスを収めたエッセンス嚢を有する芳香を放つ葉をもつ。
マートル(ギンバイカ)、ニアウリ、ベイラム(ピメンタ)、カユプテ、クローブ、そしてユーカリ、ティートリーなどがこの科に属する。

ティートリーは、フトモモ科に属するMelaleuca属(コバノブラッシノキ属)の樹木の一種で、コバノブラッシノキ属には、150種にもなるティートリーの各種がある。
この中でもっもと有名なのがMelaleuca cajuputi(カユプテ)とMelaleuca quinquenervia(ニアウリ)であり、いずれも殺菌作用で名高い。しかし、それに次いで有名なMelaleuca alternifolia(ティートリーのスタンダードになる種)の精油には、広いスペクトラムのひときわパワフルな殺菌力がある。

ティートリーは、オーストラリアのニューサウスウェールズの比較的狭小な地域に生育する。
このほかの地区でも、この植物は育たないわけではないが、それから抽出した精油が殺菌力においてはるかに弱いのは、なぜだろうか。

学名のMelaleuca alternifoliaについて考えてみよう。Melaは「黒い」、「ダーク」なという意味、leuca(文法上leuconが原形)は「白い」を意味する。この樹木の外観からきた名である。黒を思わせる濃緑の葉と白い幹との色の対比を思いうかべてほしい。種小名のalternifoliaは「葉が交互についている」ということである。

ティートリー油の成分は、1968年に12種が、1978年に48種がつきとめられた。現在はさらに多くの成分の存在が判明しつつある(100種をはるかに超している)。これらの成分はいずれも協働的・相乗的に作用して、ティートリー油の有効性を担保している。その有効性には、他の精油類にはみられぬユニークなものがある。

ティートリー油には、テルペン類、ピネン類、シメン類、テルペン系シネオール類、セスキテルペン類、セスキテルペンアルコール類が含まれ、さらに植物には通常含まれない少なくとも4種の特殊な組成成分が見出されている。それはビリジフロレン(0.95%)、β-テルピネオール(0.25%)、L-テルピネオール(痕跡量)、アリヘキサノエート(痕跡量)である。
原木をランダムに選んで、葉を採取して蒸留してみても、たとえばシネオール含量には2%から60%ないしそれ以上のひらきがある(植物学的にはすべて同一の原木なのにである)。

このティートリー油の主要成分の一つ、1.8-シネオールは、ご存じのとおりユーカリ油に多量に含まれている成分である。これがユーカリ油のカンファーに似た、いかにもユーカリらしい香りに貢献している。ティートリー油のシネオール分が異常に多いときには、そのティートリー油はユーカリ油で偽和されている可能性がある。シネオールは皮膚に浸透しやすい特性がある。これが腫れものなどに有効なのだが、15%を超す含有量だと、皮膚刺激作用を示し、アレルゲンとなる。

この成分に関することは、あとで改めて述べることとして、いまわかっているティートリー油の主要な成分をまずあげておきたい。もちろんこれは一つの目安である。

成分(%で示す)
α-ピネン 2.5      γ-ムウロレン 痕跡量
α-p-ジメチスチレン 痕跡量      グロブロール 0.2
レドール 痕跡量 ビリジフロール 0.1
ロシフォリオール 痕跡量 スパツレノール 痕跡量
cis-p-メント-2-エン-1-オール 0.1 テルピネン-4-オール 40
α-ブルネセン 痕跡量 カンフェン 痕跡量
α-ツエン 0.9 β-ピネン 0.3
α-アモルフェン 痕跡量 p-シメン-8-オール 痕跡量
リナロール 痕跡量 サビネン 0.2
α-クベベン 痕跡量 α-フェランドレン 0.3
α-イランゲン 痕跡量 1.9-シネオール 痕跡量
cis-サビネンハイドレート 痕跡量 リモネン 1.0
β-フェランドレン 0.9 1.8シネオール 0.1
α-グルユネン 0.2 トランス-ピペリトール 痕跡量
テルピノレン 3.2 クベノール 0.1
メンチュオイゲノール 痕跡量 β-カリオフィレン 0.1
アロマデンドレン 1.4 β-グルユネン 0.1
β-エレメン 0.1 δ-カジネン 1.2
アロ-アロマデンドレン 0.3 α-フムレン 痕跡量
ビリジフロレン 1.0 α-テルピネオール 2.3
α-ムウロレン 0.1 トランス-p-メント-2-エン-1-オール 0.2
パルストロール 痕跡量 ビシクロドルマクレン 0.1
γ-シメン 2.8 ミルセン 0.5
トランス-サビネンハイドレート 痕跡量 cis-ピペリトール 痕跡量
カジナ-1.4-ジエン 0.1 α-テルピネン 10.4
カラメネン 0.1 ネロール 痕跡量
α-コパエン 痕跡量 トランス-6-オシメン 痕跡量
1.2.4-トリヒドロオキシ-p-メンタン 痕跡量     

2015年5月23日土曜日

ジャン・バルネは、大戦中はもとより第1次インドシナ戦争中にもアロマテラピーを実践していなかった!

ポーランドの作家、シェンキエヴィチの小説”QUO VADIS”に登場する人物に、キロ・キロニデスなる毒舌家がいる。

キロニデスに言わせると、この世には、頭蓋骨の中に脳味噌を入れていて、物事をヒトとしてマトモに考察できる人間と、頭蓋骨に膀胱を鎮座させていて、外見こそ人間だが、ものごとをロクに考えることもできない「エセ人間」がいるらしい。

 この「膀胱人間」を、化学用語の芳香族をモジって「膀胱族」と、かりに呼ばせてもらおう。

アロマテラピーの中興の祖、ジャン・バルネは、1920年にフランスのフランシュ:コンテ地方(フランス東部に位置する、昔の州名)に生まれた。ラ・フレーシュ陸軍幼年学校を卒業したのち、陸軍衛生学校で医学の基礎を学んでいた。

 ジャン・バルネが20歳の時の1940年5月10日、ナチスドイツ軍はフランスの誇るマジノ線という現代版万里の長城みたいなチャナなしろものをアッという間もなく突破し、開戦からたったの1カ月すこしでフランスを手もなくねじ伏せ、フランスはあっけなく(だらしなく)、ナチスドイツに降伏した。その原因は多々あげられるが、時のフランス陸軍総司令官モーリス・ギュスターブ・ガムランが脳梅毒で思考力がゼロになっていたことが何よりも大きい(こんな男は「膀胱族」の最たるものだろう)。
 そしてまた、軍の先頭で将兵を指揮すべき立場にあったシャルル・ドゴールが戦場を放棄してはやばやと英国に逃亡してしまって、フランス軍をしっかり統率しうる人物が皆無だったことも、フランスの敗因だった。

 こうした状況下で、ナチスドイツ軍がかなり手を焼いたのが、フランス国内で、占領軍と、ナチスドイツの傀儡(かいらい)政権との威嚇に屈しないで対独闘争を展開していた対独抵抗勢力(レジスタンス派)であった。

学業半ばの21~22歳の学徒だったジャン・バルネ青年も、このレジスタンスに身を投じた。とはいっても、彼の年齢を考えてほしい。こんな若僧がメスを振るって負傷兵の本格的な手当てにあたることなどムリだ(注射はできたが)。ジャン・バルネ青年の任務は、もっぱらペニシリンなど最新の医薬品や消毒剤、包帯用品、注射器、メスなどを実際の負傷兵の応急装置を講じる先輩医師たちに、夜の闇にまぎれて届けることだった。
彼は書いている。

 「1945年2月、ブザンソンにおかれた412後送病院で外科業務に配属されていた私は、最も危険な場合を含めて、戦傷の治療にペニシリンが果たすめざましい効果のかずかずを学ぶことができた。

 ある晩のこと、コルマールでの戦闘のあと、数時間のうちに400名以上の負傷者を受け入れることになり、私はストランスブールに行って、私たちに必要なペニシリンの補充分をとってこなければならなくなった。1945年2月のブザンソン=ストランスブール間の往復の行程は、まさに大変な旅であった。雨氷、砲弾の跡、ふつうならとっくに引退しているようなジープのすり減ったショックアブソーバー、こういったもののすべてのせいで、しっかりした注意力が失われ、脊柱の頼りないバランスが手ひどく痛めつけられた。私は一晩中旅行をして、朝の5時ごろストラスブールのペニシリン保管所についた。

 日がのぼったとき、私はそれぞれ10万単位のペニシリンを50ボトル入れた箱を2箱、車に積みこむことができ、そのまま412病院にもどった。

 10万単位のペニシリン計100ボトル、すなわち1,000万単位のこの抗生物質ペニシリンで、当時は60本ほどの『脚』を助けることができ、(この頃は10万単位から20万単位で十分だった)、20体の『腹部』、あるいは同数の『胸部』を救うのに十分だったのである。」

 当時のジャン・バルネは正式な軍医ではなかった。軍医の助手であり、見習いであった。だから、彼が傷病兵に行っていたのは、あくまで、本物の軍医が執刀し、施術する前の予備的治療であった。つまり、負傷兵に術前措置としてペニシリンを3時間おきに25,000単位ずつ注射していた。これは、もとより先輩上司の軍医の指示に従ってのことだった。

こんな戦場において、どうしてジャン・バルネがアロマテラピーなどというものが行えるだろう。第2次大戦中からジャン・バルネ「博士」は、アロマテラピーを実践していた、などという膀胱族どもの記述を見ると、『ジャン・バルネ博士の植物:芳香療法』の復刊をぜひ実現させたいと思わずにはいられない。

 戦後、リヨン大学の医学部に入ったジャン・バルネは、ここでドクトラ(医学博士号)を取得し、正規の軍医となった。

 対独レジスタンス時代のジャン・バルネには、ペニシリンの副作用などに思いを致した形跡は、まったくと言ってよいほどない。考えてみれば当然である。致死的な細菌だらけの戦場、すさまじい速度でふりそそぐ銃弾、砲弾、それが爆発したあと、あたりの風景が一変する戦場、前を行く戦友の頭部が機関砲の一発で吹き飛び、頭を失った体が頸部から血を吹き上げながら5~6歩進んで、つまずいて倒れてそのままボロキレのように動かなくなる戦場。そんなところでの唯一の頼みの綱が抗生物質だったからだ。副作用?そんなのはぜいたく人間のタワゴトだと、戦場臨床医の誰もが思ったろう。

 1950年から52年にかけてジャン・バルネ軍医大尉がトンキン(現ハノイ)の第1前線外科医療班の外科医だったときと、そのあとサイゴン(現ホーチミン)の415後送病院に勤務していた時に、彼は時間をかけて、負傷兵の国籍別に、当時の主要な治療薬だったサルファ剤と抗生物質剤との(この時点ではペニシリン以外にも多くの抗生物質剤が開発され、米国からフランス側にどんどん提供されていた)有効性の度合いを比較する様々な研究を行った。そして、博士は「これらのサルファ剤や抗生物質剤などがヨーロッパ人よりもベトナム人、アフリカ人負傷者の方にはるかに著しい効果を上げるのを確かめることができた。これは、これらの国民の大部分がこうした薬剤で治療を受けた経験が全くないからである」と結論している。

 この第1次インドシナ戦争のフランス軍は、いわゆる外人部隊であり、旧ナチスドイツ兵、徴兵されたアルジェリア人、南ベトナム人などで構成されていたことは前述した。そのことを想起してほしい。

 ジャン・バルネ博士がこの第1次インドシナ戦争時に少しばかりアロマテラピーを実践したという(神話)があるが、博士自身は一度もそれについて具体的に触れた記述をしていない。だから博士がこの時期にアロマテラピーを実践したという実証はなにもないのだ。そして、このような伝説が生まれた背景には、ジャン・バルネ軍医はアロマテラピーを戦火の中で縦横に施術してほしいという一般のファンの願いのようなものがこうした形で結晶したのではないだろうか。

 抗生物質剤(ペニシリン・ストレプトマイシン・テラマイシン・オーレオマイシン・クロラムフェニコール・テトラサイクリンなど)にたいして、その安易な使用に警鐘を鳴らしはじめたのも、彼の軍籍離脱後であり、アロマテラピー(といっても、博士の説くアロマテラピーなるものとは、現代のアロマテラピーとは厳密に言って別物である。これについては、いずれはっきり述べるつもりだ)を研究し、抗生物質剤使用への一つの代案としてこれを世に問うたのも、すべて市井の一医師となってからである。

 それから、「膀胱族」のあいだで喧伝される「マルグリット・モーリーは、ルネ=モーリス・ガットフォセの弟子だった、マルグリット・モーリーはジャン・バルネ博士の弟子だった」というたぐいのホラ話は、もういいかげんにやめてもらいたい。そうしたヨタ話をあえてするなら、ハッキリした根拠を示して言うが良い。
でないと、日本の民度の低さを示すばかりだ。

2015年5月4日月曜日

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ブログを見ていただいた方から、たびたびご質問をいただきますが、
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よろしくお願いいたします。


先月、サンフランシスコからご連絡いただきました、A様。

何度か違う方法でメールにご返信いたしましたが、どうしてもエラーになってしまいます。

もし、このブログをご覧いただきましたら、再度、繋がるメールアドレスをご連絡いただけますでしょうか。
よろしくお願いいたします。






2015年4月22日水曜日