グアイアズレン
2013年11月13日水曜日
精油の化学④ アズレン類およびセスキテルペン類
グアイアズレン
2013年11月6日水曜日
精油の化学③ アルデヒド類
真正メリッサ油の価格はピュアなバラ精油と同程度の値段。すなわち同じ重量の黄金と同じ価格である。安い真正メリッサ油などというものは、絶対に存在しない。
ネラール
2013年11月2日土曜日
精油の化学② モノテルペン・セスキテルペンアルコール類
2013年10月30日水曜日
精油の化学① 酸類
・酸類が比較的多い精油 ー | クローブ(Eugenia caryophyllata)油。フトモモ科の木本の花芽から抽出した精油 |
フレグラントウィンターグリーン(Gaultheria fragrantissima)油。ツツジ科の木本の葉からとった精油。メチルサリチレートの含有量が、きわめて多い。 | |
ジュニパー(Juniperus communis)油。ヒノキ科の木本の液果のついた小枝を蒸留して抽出した精油。カンフォレン酸の含有量が多い。ただし、変種によってはクマリン酸(ウンベリフェロン)をかなり多量に含むものもある。 | |
フウロソウ科のゼラニウム(Pelargonium graveolens)油。ローズゼラニウムとしていろいろな変種がある。いずれもオキシド類の形で酸類を含有する。 |
各種の精油が含む酸類
(Pinus sylvestris〔スコッチパイン〕の針葉にとくに多い)、サリチル酸
2013年10月29日火曜日
これまでの『R林太郎語録』をふり返って
私は、この自分の名をおこがましくもつけた「語録」を、香りについて、アロマテラピーについて、思いつくままのこと、思い出すままのことを、順不同に書きつらねてきた。アロマテラピーという歴史の浅い自然療法を、日本に最初に体系的に紹介したものとして、少しでも多くの方がたに、つれづれなるままに記した随想のかたちで真実を、アロマテラピーの真実を、 知っていただくことを願ったからである。
2013年の5月1日に、この私は『誰も言わなかったアロマテラピーの本質』という新しい本を出して、いまのアロマテラピーの、ことに日本で行われているアロマテラピーの、さまざまな問題点をとりあげて論じた。しかし、いろいろな方面からの悪らつな妨害によって、この本は幻となってしまった。
でも、アマゾンとか楽天とかで、この本の一部が売られると、あっという間に売り切れた。この新刊をお読み下さったアロマテラピーの権威である、藤田忠男博士は、私には身に余る賛辞をお寄せ下さった。そして、「高山氏のこの本は、高度な文化批評である」とまで言って下さった。これにより、この新刊にたいしてケチをつけたまことにIQのお低い方がた(誰かはほぼわかっている)の罵詈雑言(ばりぞうごん)は、すべてケシ飛んでしまった。藤田先生のお考えは以下の原文もあわせてお読み頂きたい。
〔高山林太郎氏の著作の高度な文化批評〕
http://ameblo.jp/forestwalking/entry-11814714388.html
この「語録」は、すでに2万人以上の人びとが読んで下さっている。藤田忠男博士は、「日本のアロマテラピー業界は死に体」とまで極言しておられる。博士におことばを返すようで申しわけないが、私はアロマテラピーは、確かに一時の勢いは落ちたかも知れないと思うけれども(事実、英国のアロマセラピー界の権威〔とは笑わせる〕、ロバート・ティスランドが日本にまで来て、泣き言をならべていた)、本当に正しく、科学的に、バッチのフラワーレメディーズだのホメオパシーだのといったインチキ自然療法と「アロマテラピー関係者」たちがキッパリ縁を絶って、少しずつでも、精油の作用機序を、その相乗作用を、クェンチング効果を明らかにしていき、かつ、英国人、フランス人、黒人などと、体質も皮膚の質も、そのほかの各種の点でも異なった部分が多々ある日本人の(厳密には同じ日本人といっても、古来からの青森人、アイヌ人、沖縄人などは、それぞれみんな体質などが異なる)ためのアロマテラピーを構築すれば、一時のお祭り騒ぎ的な、地に足がつかない、ミラージュ的、蜃気楼(しんきろう)的なアロマテラピーを、しっかりした根拠に基き、万人を納得させ得る新たなアロマテラピー(ネオアロマテラピーとでも命名しようか)に生まれ変らせることができる、と私は確信する。
この文を読んでおられる、だいたいあなたほどの怜悧(れいり)で、ことばとしてダブるけれども知性と理性とを兼ね備えたお方が、会員から毎年毎年、金をまきあげる悪知恵しかない、もっともらしい日本アロマ○○協会などに加わっているのはどうしてか。そんな「協会」は公共的法人のくせに、7億から9億の金を金庫に唸らせ、協会の幹部どもは、「バカ会員めらが」と、ハラの中でセセラ笑っている。
めざめて下さい、そこのあなた。あなたを、あなたの財布をいろいろなインチキアロマ協会が、インチキアロマスクールが、インチキアロマサロンがねらっている。オレオレ詐欺師どもよりタチが悪い奴らだ。あなたは認知症のご老体ではないはずだ。しかし、悪党は、さまざまな手を使って人の良い人間をダマして金をまきあげるスベを心得ている。
どうか、くどいようだが、前記の悪人たちの餌食にならないように、ごくふつうの常識を働かせ、その悪人どもの口車に乗せられないように努めることだ。ダマされた人間も、またべつの人間をダマして金をもうけるのが、このネズミ講的組織のもっともタチの悪いところだ。しかもウブな若い女性などに「私は世間に役立つことをしているのだ」と信じこませてしまうオウム的洗脳組織だということを、心にシッカリ刻みこんでほしい。それが、私の心からの願いである。
2013年10月17日木曜日
人間の体臭について(続き)
現在では、体臭イコール悪いものという観念が横行している。むかしの人間(原人・旧人類といわれるきわめて古い時代の人種)は、確かに体臭がきわめて強かったと思う。
集団生活をしているハチ・アリなどは、巣の見張り番のハチ・アリなどが、敵の接近や攻撃などを仲間に知らせるために、独特の体臭を放って、スピーディーに群れの全員にその危険を知らせる。
すると、巣を防衛し、敵を撃退する役目の昆虫は、さっとその態勢をととのえ、必要とあらば敵を積極的に攻撃する。繁殖期などには、さらに敏活な行動をとる。
いまから20万年から2万数千年の間に、世界の各地で暮らしていた人種の一つに、ネアンデルタール人(Homo neandelthalensis)という旧人がいる。むろん、火を使い、旧石器を用いて、それなりの文化を築いていた。 仲間が死ねば埋葬し、花をそこに供えたりもした。
ネアンデルタール人は、身長が165cmぐらいなので、その男性にワイシャツを着せ、ネクタイを締めさせ、スーツの上下を着用させ、靴をはかせて公園のベンチにでも座らせたら、そばを通る人は、「こりゃ何人だろう。毛色の変わった人だなあ」と思うだけで、とくに気にもとめないのではないかと考えられる。
しかし、ネアンデルタール人は、現代の人間、すなわちホモ・サピエンス(Homo sapiens)と大きくちがったところがあったらしい。それは、頭蓋骨(とうがいこつ)の研究から、彼らはどうもコトバをうまく話せなかったようなのだ。と、いうことは、当然、脳の言語を司る分野が未発達だというわけであり、コトバを使用してモノを考える私たち現代人と世界の捉え方が相当異なっていたと思われる。
ネアンダルタール人も、数十人ないし、数百人のグループをつくって、狩などをして生活していたらしい。群のリーダーは、気候の変化、季節の移り変わりなどに応じて、各地を転々として、食物を求めて歩いた。しかし、ネアンデルタール人は、ついに弓矢を発明できなかった。かりに、群の誰かがそれをふと思いついても、唸り声のような声音では、その知恵を仲間全体にうまく伝えて、狩猟文化を飛躍的に発展させることができなかったのではないだろうか。
ここに登場してきたのが新人、すなわち現代人のホモ・サピエンスの先祖ではないか。
彼らは幼稚ながらコトバをいろいろと用い、弓矢をたくみにあやつって、さまざまな動物を狩ることができた。ネアンデルタール人は、どうなったろうか。ホモ・サピエンスに平和裏に吸収されたと想定する学者もいる。そういう学者は、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとのへだたりはさして大きくないとして、ネアンデルタール人の学名を(Homo sapiens var.neandelthalensis)と書いたりする。var.は、ラテン語のワリエタリスの略記で、その変種ということである。あるいは、ホモ・サピエンスに暴力的に絶滅させられた可能性も否定できない。霊長類のなかで、もっとも凶暴なのは、現代人ホモ・サピエンスであることは、その後のホモ・サピエンスの歴史から如実に証明されているところだからだ。
ところで、ネアンデルタール人のリーダーがグループのメンバーをひきつれて、高い崖の上に立ったとする。と、リーダーは「これは危険だ! ストップ!」ということを群れの人間たちに伝えるのに、吠えるような声をあげるとともに、強い体臭を放ってみんなにその危険さを伝えたのではないだろうか。そうすれば、その緊急性をスピーディーに群れのメンバー一同に伝えることができたと思われる。
そういうことに役立ったにちがいないと考えられる体験を、私自身したことがある。フランス南部のオートプロヴァンスに行ったとき、フランスにまで延びているアルプスの山腹を車でえっちらおっちら登っていた時だ。多分、海抜800メートルくらいのところで車を降りて、新鮮な空気を吸い、ふと足元を見た。足がふらついた。
私はかなり高所恐怖症の気(け)がある。
足元に600mくらいの谷が口を開けている。いまにも吸い込まれそうだ。思わずめまいがした。そのとき、私は体臭がさっと変わるのを感じた。そして、睾丸がキーンと冷えた。そして、女性だったらこんなときどこが冷えるのだろうかとバカなことを連想した。
こんな場合に遭遇した旧人のリーダーは、体臭を強烈に発して、危険性を知らせたに違いないと考えたのは、そのときだった。ネアンダルタール人にとって、(あるいはそのほかの旧人にとって)、こんな瞬間の緊急性を知らせるアラームとして、におい、異臭はきわめて有効だったろう。
また、私は、東京の新宿駅に立ったとき、微かながら異様な焦げ臭さを嗅ぎつけて不安におそわれ、駅員にわけを尋ねたことがある。原因は、駅から1km近く離れたところで発生したボヤで、もう鎮火したとのことだった。森林や草原などの火災では猛獣でもひたすら逃げるしかない。私もこの瞬間、一種の先祖帰りをしたのだろう。
しかし、コンスタントに先祖帰りをしている人間もいる。あるとき電車に乗ったら、隣の席の長袖の女性が、強烈な体臭を出していた。私は、思わずその若い女性の顔を見つめてしまった。悪いことをした。知らぬふりをきめこんでいればよかったのに。女性は悲しそうな顔をして、席を立って電車を降りた。女性は私がその顔を見つめたことが原因で下車したのか、それともそこが目的の駅だったのか、いまだにわからない。でも、ただただ、後悔の念がいつまでも残ってしまった。
人間の体臭について
ジャン・バルネ博士は、著書にこう書いている。
「芳香浴というものを、当世風の補足的な発明のように考えるのはまちがっている。
事実、芳香浴はいつの時代にも人びとの人気を得てきたのである。
しかし、フランスでは衛生とおしゃれの基本的な観念の欠如から、そうしたことが行われず、不当に判断されてきた時代がいくつかあったことは確かである。
それは14世紀[ルネサンスの時代]、ついでアンリ四世[16~17世紀はじめ]の治世であった。ぞっとするような汚い『善良王(ボン・ロア)』のこの時代は、とくに垢(あか)とノミ・シラミの治世であった。人びとはボリボリ自分の体をかいて体をきれいにし、美女は墓場[フランスでは土葬である]のような悪臭をさせ、貴族たちは『腋の下を少しすえ臭くし、足をむっと臭くしていた』。
ルイ一四世の時代も同様だった(何という幻滅だろう!)」。
そういえば、ミラノ公国のスフォルツァ公に仕えていたレオナルド・ダ・ヴィンチは、この宮廷で美女の絵を描いたりイベントで貴族たちを楽しませたりしていたが、彼は、主君スフォルツァ公に、「みんなが飼っている動物で、死ねば死ぬほど嬉しくなるものは、何でございましょう」というナゾをかけたりした。答えは「シラミ」である。ルネサンスのころのイタリアのいろいろな宮廷、宮殿などの貴紳、美姫たちもフランスと同様、垢だらけで、ノミ・シラミの跳梁(ちょうりょう)に身を委ねていたに相違ない。今日のように、人びとは、貴賎を問わず、沐浴、シャワーなどで体を洗うことがなく、むっとした体臭を発していた。
日本でも、光源氏も紫の上も(これはフィクション上の人物だが)アバタづらで、むっと体臭をあたりにふりまいていたかと考えると、ゲッソリするのと同じことだ。でも、今日の感覚でむかしの人を論じてはなるまい。
ただ、『竹取物語』のかぐや姫が、 テレビドラマの水戸黄門に登場する美しい女優のように入浴するシーンを披露するとなれば、ちょっと見てみたいという男性は少なくないだろう(私は別ですよ)。
しかし、あの本を何度読んだって、彼女が竹から出現して以降、月に帰るまで、一度も沐浴したという記述がない。さぞ、臭かったでござんしょう。
でも、江戸時代になると、日本人の多くはひんぱんに沐浴するようになる。考えてみれば、日本ではそのむかしでも温泉がたくさんあったのだから、これを利用した人びとはかなりいただろう。当時、世界一の人口を抱える都市だった江戸には銭湯がたくさんできて、江戸っ子は、乞食以外は毎日、沐浴をした。
電燈などおよそない、薄暗い浴場だったから、男女が混浴したころもあった。石けんがない時代で、人びとはぬか袋で体をこすって洗った。どの程度の洗浄効果があったのだろう。
江戸時代の日本人は、清潔好きだった。反面、人前で肌を見せるのは平気だった。東京・新宿に四谷見附(よつやみつけ)という、役人が常駐する番所があった(もちろん、見附は江戸四方にたくさんあったが)。この番所は、もとより将軍様のお膝元に怪しい人間が近寄らぬように当局者が目を光らせているところだが、男がすっぱだかでこの番所を通っても、その男が肩に一枚、手ぬぐいを載せているかぎり、役人は何もとがめずに、江戸の御府内に通した。いまでは、こうはいかないだろう。
私が中学生ごろまで、電車の座席で乳児に乳房をあらわにして乳を与える女性はザラにいたし、男もさっぱり目をくれなかった。暑い夏には、通行人など気にもせずに平気で女性もたらいで水浴びをしたし、それをとやかくいう人間など、誰ひとりいなかった。
私の小学校の頃の同級生など、六年生のとき、同じクラスの女の子の家に遊びに行き、同じ部屋で一緒に寝たそうだ。このことを、どちらの親も、何一つ問題視しなかったし、事実、何事もおきなかった。現在だったら、絶対に、親はこんなことは許さないだろう。
いまの時代は、インフラは整備され、水洗トイレはいきわたり、人びとの衛生観念も発達した。私がこどものころは、男も女も平気で立小便をした(若い娘はさすがにそんなことは人目につくところではしなかったが)。
しかし、私は思う。確かに環境はきれいになり、人びとの暮らしは「衛生的」になった。
でも私たちは、衛生的に進歩して本当にキレイになったのだろうか。人工的なにおい、香りで天然のものを隠し、私たちの本能を人為的に麻痺させてしまっている。これが、人間として、本当にあるべき姿なのだろうか、と。
また、欧米人のマネを一から十まですることが、すべて正しいのだろうか。
アロマテラピーは、人間の感覚(それも複数の)を陶酔させ、人間の心身を自然なかたちで健やかに導く方法である。だとしたら、日本人は、日本人向けのアロマテラピーを創造し、私たちの感覚にマッチした、そして私たちの心身の真のありようを考えるべきではないだろうか。
日本人はヨーロッパ人と同じ服装をすることはできる。でも私たちの長い歴史がつちかってきた精神と感覚まで欧風にする必要があるだろうか。また、できるだろうか。ましてや
肉体の中身まで、腸の長さまで100%ヨーロッパ人なみにすることなどできようはずもない。
このことをもう一度考えてみよう。