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2013年10月8日火曜日

精油(エッセンス)の効果と作用④

そのほかにも、さまざまな作用が精油にはある。
たとえばラベンダー油には、癒傷作用がある。これは、ルネ=モーリス・ガットフォセが「アロマテラピー」に想到するよりも、ずっと前からラベンダー油を香料会社の工場に納入していたフランスの農民たちが発見していたことだ。

しかし、なぜ真正ラベンダー油が傷をなおす力を発揮するのかは、いまだに科学的に解明されていない。だが、このことをルネ=モーリス・ガットフォセが世にひろく知らせていらい、アロマテラピーを学ぶものは、イの一番にこの精油の鎮静作用とともに、これの癒傷作用を知ることになる。そして、その無数の例があげられている。

だのに、その作用機序はいまだにはっきりわかっていないのだ。ラベンダー油に含まれる各種成分とビタミンCとが相乗的に働くためではないかという仮説を提出している学者もいるが、これも確かなわけではない。日本の各種アロマ協会のいろいろな金儲け目的のテストにも、このことはその試験問題として出たためしは一度もない(これにまっこうから答えられる「先生」方は、おいでにならんでしょう。ふふふ)。

ガットフォセは、アロマテラピーでは、テルペン類を除去した精油を使うように勧めている。今日、英国などのいわゆる「ホリスティックアロマラピー」の関係者が声高(こわだか)に叫んでいること、すなわち「脱テルペン精油は、天然自然から遠ざかった存在だ(だから、治癒力が乏しい)」という主張、あるいはジャン・バルネ博士の「トータルな精油を信頼しよう」という信念と、およそ正反対の考え方である。多くのアロマ関係者は、このことに触れたがらないが、私は敢えてこれに言及しておく。

ガットフォセは、精油はできるだけ精製した精油、いってみればホール(Whole)なもの、とはまるきり反対の精油を使わなければ、精油の効き目は期待できず、精油を用いた治験で多くの医師が失敗の苦汁を味わってきた理由はここにあるとガンコに言い張っている。このことを現代の私たちが完全に否定しきれるかどうかが問題だろう。

彼が医学的知識に暗かったせいだというだけでは、本当の反論にはならない。ルネ=モーリスの会社が製造していた精油が脱テルペンしたものだったことを、そう言って正当化しようとしたのだろうといっても想像の域をでない。きちんと医学的・化学的にじっくりと、それが正しいか否かを考察する必要があるだろう。

ルネ=モーリスの主張を肯定するにせよ、否定するにせよ、このことは重要な作業である。

ガットフォセはさらに、多くの脱テルペン精油(真正ラベンダー油を含めて)は、ベルガモット油にどんどん近い存在になるとも言っている。

だとすれば、現在、アロマテラピー関係者が、製造したり販売したりしている精油の多くは存在理由がなくなってしまうことになりはしまいか。ルネ=モーリスのこの考えは、果たして正しいだろうか。

ユーカリ油やカンファー油などのいくつかの精油は、呼吸器系に明瞭な効果をもたらすことは、すべてすでに科学的ないし医学的に説明がついている。

かんたんに言えば、その精油成分が呼気・吸気の通路を塞ぐ状態の余分な水を抑制し、気道を拡大させて局所的に効果をあげることで、呼吸をらくに行えるようにするからだ。

日本では、大正製薬という会社から『ヴィックスヴェポラッブ』という指定医薬部外品(塗布剤)が出ている。これは、ユーカリ油、カンファー油、l-メントール、 杉葉(さんよう)油などが配合されており、これを胸部、頸部、背中に大人の場合、1回につき6~10g(小児ならもっと少なめに)をすりこむと、体温で精油成分が蒸散して鼻腔・口腔から(精油の一部は経皮吸収もされるだろう)呼吸器に入って、かぜ・インフルエンザ・喘息などで気道がせばまって苦しい症状を大幅に緩和できる。

カンファー油のような精油はまた、リウマチ性の疾病や関節炎その他の炎症を生じた部分に局所的に適用する。10mlのホホバ油に精油を3~4滴まぜて皮膚にマッサージしながらすりこむと、炎症を鎮め、痛みを和らげることができる。これも、科学的に説明がつく。

2013年7月29日月曜日

塩田清二著 ≪香りはなぜ脳に効くのか≫続き

前回は、塩田清二氏の上記の書物の「まえがき」について感じたところで紙数が尽きてしまい、中途半端なものに終わってしまったことを、お詫びしたい。

さて、前回にのせた感想と同じことを、NHK出版の大場編集長にお伝えしたところ、塩田氏は、たとえこの療法がルネ=モーリス・ガットフォセが「アロマテラピー」と名付けようと、自分は医療という意味を強調したいので、あくまでもアロマセラピーと称し続けるとおっしゃっていた、と大場氏からお話があった。

だだっ子のような人を相手にしてもしようがないと思ったが、やはり正しいことをお知らせするのが私の義務だと感じた。

しかし、これはまず塩田氏の認識不足からきていることは、同書61ページにこうあることからはっきりわかる。

「みなさんは、アロマセラピーという言葉を頻繁に耳にしていることでしょう。(私はアロマテラピーという言葉のほうを、より頻繁に聞いたり、見たりする が―高山)。

aromaとはギリシャ語で香りや香辛料の意味で(これは誤り。aromaはもとをたどればギリシャ語にまでさかのぼるが、ルネ=モーリス自身はこれをラテン語とはっきり認識していた―高山)。

セラピーは治療のことです(ギリシャ語にセラピーなどという語は存在しない―高山)。精油を用いた治療法を確立・体系化したフランスの化学者ルネ・モーリス・ガットフォセ(原書ママ)(1881-1950)が、この二つの言葉を合成して創り出しました。現在では、アロマセラピーとは『精油を薬剤として用いた医療』というのが、一般的な定義になっています」。


René-Maurice Gattefosséが創り出したのは、ギリシャ語をもとにしたラテン語で芳香・香辛料を意味するaroma(アロマ)と、同じくギリシャ語のhealingの意味に由来するtherapeia(テラペイア)とを合体させたものであり、どうしてもアロマテラピー(正しくはarɔmaterapi と発音する。日本語のように“l” “r”とを同じに発音する言語と違い、“r”は、舌背を高くした破擦音で出すが、口蓋垂をふるわせるかして発し、théはどうあっても、テ[te、厳密にはつぎにraがくるので、やや口をひらいて tɛと発音するフランス人が多い]でないとおかしい。なぜ、著者はここでいちおうアロマテラピーとしておいて、私はこれこれの理由で、わざわざこれをアロマセラピーと英語読みすることにしますと、そうするわけをここで詳しく説明しないのか。いや、できないのか。

relaxation は、大場編集長によると、塩田氏からこれを「リラクゼーション」と説明する理由はついになかったとのこと。人間は「リラックス」する。その名詞形は「リラクセーション」だ。「リラクゼーション」だとあくまでこだわられるなら、その動詞は「リラックズ」ということになり、さしずめ人間の「クズ」が行うことだろう。

65ページ

「たとえば、サンダルウッド(白檀)の主成分であるα‐サンタロールについて、経鼻吸収した場合と経皮吸収した場合の作用を比較すると、経鼻吸収では興奮作用、経皮吸収では鎮静作用という、正反対の作用を示したという報告があります」。
 その参照資料名をなぜ記載しないのか。いったいいつの研究なのか。私がこれにこだわるのは、ほんもののインド・マイソール産のサンダルウッド油は、現在ではまず入手不可能だからだ。ニセモノのサンダルウッド油での研究結果など不要。ここをはっきりさせてほしい。この本のうしろに載せてある精油会社のサンダルウッド油は、さまざまな意味で、すべてニセモノだ。

76ページ
ルネ=モーリス・ガットフォセがアロマテラピー(塩田氏のいうアロマセラピー)の研究にのめりこむようになったきっかけは、1910年の実験室での爆発事故でした。

とあるが、ルネ=モーリスの孫娘夫妻に確認したところ、この事故は、1915年7月15日のことだったとはっきりわかった。訂正をお願いする。

この日は、 ルネ=モーリスの最初のこどもが生まれる日で、彼も冷静さを欠き、このような事故をおこしてしまったとの話であった。

しかも、身近にラベンダー油を入れた容器などなく、ルネ=モーリスは上半身火だるまになって研究室からとびだし、芝生の上をころがりまわって火を消した。しかし、ひどい火傷を左手、頭部、上背部に負ってしまった彼は、病院にかつぎこまれ、3か月もの入院を余儀なくされ、ずっと医師からピクリン酸による治療をうけていた。

しかも、患部は壊疽化し、ガス壊疽化したとのことだ。

この段階で、はじめてルネ=モーリスはラベンダー油の使用に想到し、それによって一定の効果が得られた(この点、いろいろ疑問が残るが)。事実をしっかり確認して、(調べればわかることなのだから)お書き頂きたい。

医学の知識のない彼が、この療法を体系化し、確立したなど、とんでもない話である。

だいたい、アロマテラピー(塩田氏のアロマセラピー)などということばを一目見ても、これが医学・薬学・比較病理学などとはまったく無縁の、(しいていえば、ぐらいのところだろう)香料化学者・調香師程度の人間、塩田先生のような医学的な知識の塊のような方とは縁もゆかりもない人間の造語だとすぐわからなければヘンである。

2013年7月23日火曜日

アロマテラピー余話

アロマテラピーというコトバは、ラテン語のaroma(芳香、近頃は日本語にもなってしまった“アロマ”)と、therapeia(療法という意味の、もともとはギリシャ語に由来するテラペイアと発音するラテン語)とを一つに組み合わせて新しく造語された、20世紀生まれの新顔のフランス語である。

これらのラテン語から、長い年月をへて、aromaから“arôme(やはり芳香を意味するフランス語)”と“thérapie(これも療法という意のフランス語)”がしだいにつくられた。

しかし aromathérapie、アロマテラピーという新語はarômeとかthérapieとかと違って、フランス人のルネ=モーリス・ガットフォセという香料化学者で調香師であった人物が、「だしぬけに」、「人為的に」急造したコトバである。

この「アロマテラピー」が生まれるにあたって、一つの精油、すなわちラベンダー(Lavandula angustifolia var. angustifolia)の精油が重要な役割を果たしたことは、いまや伝説的な話にまでなっている。

これに関して、いくつか考えることがある。

◎研究室で、かなり大きな爆発事故をおこし、病院にかつぎこまれ、火傷を負った部分が壊疽(えそ)状態を呈するまで、どれほどの時間がかかったか。

◎また、壊疽をおこした部分に入院して2~3ヶ月後にラベンダー油を塗布したらしいが、火傷になった直後ならともかく、そんなに時間が経過して、ガス壊疽状態にまでなった患部に、果たして伝えられているほどの「めざましい効果」がほんとうに見られたのか。痕も残らなかった? それは到底信じられない。

◎「研究室で、彼がちょっとした爆発事故をおこし、片手に火傷を負ったが、そこにあった容器中のラベンダー油にその手を浸したところ、きわめてスピーディーに、痕も残らず火傷がなおった」という、いままで巷間伝えられていた話は、まったくの嘘だったことは、肉親(ルネ=モーリスの孫娘夫婦)の証言で明らかになっている。しかし、この夫婦も、その現場に居合わせたわけではない。すべては、ルネ=モーリス・ガットフォセの息子の故アンリ=マルセル・ガットフォセ博士からの伝聞であり、また聞きのまた聞きである。だから、夫妻のことばも100%信じるに足りるものではない。

◎2~3ヶ月も経ってからラベンダー油を患部につけたというが、そのラベンダー油が最初から病室においてあったはずはない。とすれば、正確なところ、ラベンダー油の適用をいつ、どうして思いついて、病室にまでもってこさせたのか。また、その精油の使用をそれまでピクリン酸を使って手当していた病院医はなぜ許可したのか。そのわけを知りたい。孫娘夫婦(モラワン夫妻)は、その辺をあいまいに答えていた。もっともっと、キッチリ、あまさず聞き出しておくべきだった。ここは、まさに私の責任だ。
この「火傷のアクシデント」については、これ以外にも確認しておくべきだった、と思うことがあるが、これについてはここでやめておこう。

しかし、28年前に私が初めて体系的にこの療法を日本に紹介したときは、この自然療法の提唱者、René-Maurice Gattefossé の名前がなんといっても無名人の悲しさで、その年々の話題を集めて解説した本(『知恵蔵』とか『現代用語の基礎知識』といった)でも、このアロマテラピー(アロマセラピー)の創唱者の名前を、有名な国立大学教授までが、ルネ=モーリスの名はともかく、ファミリーネームのGattefosséを、「ガテフォゼ」、「ガットフォス」、「ガット・フォス」などと平気で書いていた。いまでも、その残党がネット上などに生き残っている。

そして、ルネ=モーリスが、「比較病理学者」だったなどと解説している「識者」も多かった。

恐る恐るご注意申し上げると、「てめえ、いちゃもんつけるのか!」と、さすがに大手新聞社様の貫禄たっぷりにスゴマれたりもした。

でも、「自分たちは何でも知っている。何一つ誤ちは犯さない」という、その編集者様の満々たる自信に、うらやましさも覚えた。

しかし、aromathérapie(芳香療法)などというコトバ一つとってみても、 これが医学者とか薬学者とか、あるいは「比較病理学者」などが新しく開発した療法につける名前だと思うほうがフシギである。そんなささいなことを指摘してみてもつまらないから、私はいつも違和感を覚えながら、ただ「アロマテラピー」とだけいっていた。

ま、そんなことがCMなどで「アロマの香り」などというヘンテコなコトバを流させてしまった原因かもしれない。


2013年6月6日木曜日

マルグリット・モーリーのこと

この女性を誤解している人は多い。

マルグリット・モーリーは、ルネ=モーリス・ガットフォセの弟子だったなどという人間がいるが、この2人は師弟関係をもったことはおろか、一度も会ったことがない。
マルグリットの再婚相手のモーリーは、生涯、彼女を愛し、崇拝して、マルグリットを陰で支え続けた。

マルグリットは、芸術マニアの父の血を引いていたのか、芸術的感覚に富んでいて、1937年に刊行されたガットフォセのAROMATHERAPIEを熟読し、独自の芸術的感覚と夫モーリーから受けたホメオパシーの知識とともに、マルグリット独自のアロマテラピー理論を構築した。

彼女のエステティシャンとしての豊かな経験もそのベースになった。そして、20世紀初頭からヨーロッパの芸術家たちの支配的思潮だった「芸術の目的は、人を陶酔させることにある」という理念を、エステティックの世界で活かそうと考えた。精油をキャリアーオイルで稀釈して、これをクライアントにマッサージして、クライアントをエクスタシーの境地に誘うというのも、この考えに立ったものだ。

しかし、精油をごく薄くして用いる点には、明らかにホメオパシーを感じる。これがのちの英国のアロマセラピーの中心的な技術となった。

マルグリット・モーリーが、ジャン・バルネ博士の弟子だなどという輩がいるが、バルネは、彼女の名も存在も全く知らなかった。どこからこんな話がでたものか。

私としては、ガットフォセのアロマテラピーは、調香師的アロマテラピー、マルグリットは、エステティックアロマテラピー、バルネは医学的アロマテラピー(この名は誤解を呼びそうだが)とするのがよいと思う。

「ホリスティック」アロマテラピーなどという名称は、ただ英国アロマセラピーの権威付けのために考案されたにすぎないネーミングだ。

2013年6月26日水曜日

変人奇人こそが新しいものを生む

ものごとを、ほかの多くの人とはちがった角度からみる人間を、世間では「変人・ 奇人」と呼ぶ。

私は、変人奇人が大好きだ。

ガリレオ・ガリレイらが地動説を唱えたとき、ローマ教会の教皇や枢機卿などは、

 「なぜ、誰が見ても、太陽が地球のまわりを回っているのに、教会の教えに背いて、地球が太陽のまわりを回っているなどとへそ曲がりの説をいいふらすのだろう。
この男は無神論者のような、許されざる大悪人ではなさそうだが、度しがたい変人だ、奇人だ」 

として、ガリレイを宗教裁判にかけ、むりやり「もう、こんな説は唱えません」と教会側があらかじめ書いておいた文書に強引に署名させた。

1633年のことである。

その後、9年もの間、彼は軟禁された。そしてガリレイはそのまま死んだ。

それから三百数十年後、ローマ教皇ヨハネ=パウロ二世は、「あのときは、どうも申し訳ありませんでした」と、この宗教裁判の判決を全面的に撤回した。

足利事件の菅谷さんどころではない。

しかし、この偉大な変人・奇人が科学をどれほど進歩させたか、いまさらいうまでもあるまい。

ガリレイより1世紀ほど前の芸術家(といっておこう)のレオナルド・ダ・ビンチも、これまた大変人・大奇人だ。

高齢の老人が穏やかに死を迎えようとしていたとき、レオナルドは、老人とじっくり話を交わし、その精神のありようを確かめた。

そして、目の前でその老人が死んだとたん、すぐさまメスをとって老人を解剖し、まだぬくもりの残っている遺体を仔細に検査し、こうも穏やかな最期を迎えた人間の心と体との秘密を懸命にさぐろうとした。

レオナルドは、医学にさしたる貢献をしたわけではないが、人間をほかの誰よりも具体的に、みつめたその成果は、さまざまな比類のない芸術作品の形で結晶した。

レオナルドは、いろいろな宮廷に仕えて、王侯貴族を楽しませる「イベント」屋だった。

それがむしろ彼の本業で、芸術家というのはレオナルドの一面にすぎない。彼は弦楽器や木管楽器の名演奏者でもあった。

彼の遺稿(大半は散逸してしまったが)を読んでいると、ひょっとしたら、レオナルドもひそかに地動説を支持していたのではないかと思わせる部分さえある。これを変人奇人といわずして何と呼んだらよいだろう。

アロマテラピーの祖、ルネ=モーリス・ガットフォセは、香料化学者で調香師(ネ)だった。

しかし、ルネ=モーリスは偉大さの点では前二者には到底及ばないものの、ひどく好奇心の強い男だった。変人奇人だった。

雑誌を創刊して、香水のレシピを次々に発表したり、ギリシャ以来の史観、つまり人間の歴史は黄金・銀・銅・鉄の4時代からなり、黄金時代は、幸福と平和に満ちた時期だったとする考え方を復活させ、現在は「鉄」の時代だとして、黄金時代に戻ろうという願望を、エッセーや小説などの形式で世の人々に伝えようとしたりした。

かと思うと、かつてローマに支配されてガリアと呼ばれていた、古い時代のフランスの考古学的研究をしたり、失われた大陸アトランティスのことに熱中したりした。

しかし、会社の本業も怠らず、販売する品目を400点ぐらいにまで拡大している。

彼は第一次大戦で戦死した2人の兄弟に、一種の贖罪をしなければならないという気持ちが生涯あったようだ。

1937年にルネ=モーリスは、AROMATHERAPIEという本を出版して、この新たな自然療法を世に問うた。

しかし、時、利あらず、戦雲たちこめるヨーロッパでは、サルファ剤、抗生物質剤ペニシリンによる治療ばかりに人びとの注目が集まり、マルグリット・モーリーのようなこれまた変人を除いて、ほとんど誰もこの新しい療法に注目する人はいなかった。

むろん、例外的に、この療法を獣医学に応用しようとした人もいた。イタリアにも、この新療法にインスパイアされた学者、例えばガッティーやカヨラ、ロヴェスティーなど何人かでた。

しかし、はっきり言ってしまえば、アロマテラピーは事実上黙殺されたのである。1937年以降、ルネ=モーリス自身は、医療技術としてのアロマテラピーを発展させようという意欲をかなり失ってしまったようだ。

以後、彼はコスメトロジーのほうに軸足を移した。

ドゥース・フランス(うまし国フランス)が、ドイツに踏みにじられても、たぶん、ルネ=モーリスは、わが藤原定家のように、

「紅旗征戎(こうきせいじゅう)わが事にあらず」

と、定家とは異なった一種の絶望感とともに、現実をうけとめていたように思われる。

もはや、「黄金」時代にこそふさわしいアロマテラピーは、彼の心を少しずつ去りつつあったのではないか。マルグリット・モーリーは、ルネ=モーリスの弟子だったなどというのはヨタ話もいいところだ。

この二人は会ったことすらないのだから。しかし、マルグリットがガットフォセの着想を自分流に組み立て直して、それを自分のコスメトロジーに組み入れていなければ、そしてまた、第二次大戦中に何かの折にルネ=モーリスの本をのちのジャン・バルネ博士(マルグリット・モーリーが博士の弟子だったというのもヨタ話だ)が読んで、その内容を頭の片隅にとどめていなければ、今日、私たちがアロマテラピーなどという療法をあれこれ考えることもなかったはずだ。

ルネ=モーリス・ガットフォセは、1950年にモロッコのカサブランカで亡くなった。

2013年9月24日火曜日

「バレエ・リュス」とアロマテラピー

以上、いろいろな観点から、バレエ・リュスについてのべてきたが、これは、当時のほとんどのヨーロッパの芸術家たちが「芸術のめざすのは、人間の感覚を陶酔させることだ」と信じて、さまざまな作品をものしてきたこと、そして、その一つの象徴的なかたちが、絵画・文学、そしてむろんのこと、その結果、舞踊というものが、その時代思潮をあらゆる方面に拡大延長していった事実を史実に照らして確認したかったからである。

その作品にさまざまな形式で接する人を「陶酔させること」
--それが果たして芸術の真の存在理由であるかどうかは、まさに神のみぞ知るところだろうが、当時の人びとの多くは、ことに芸術家たちは固くそう信じた。

その象徴的なものが、「バレエ・リュス」だった。バレエ・リュスが提出した答えが、人類が古来、営々とつくりつづけてきた「芸術」ないし「芸術的」な作品のただ一つの存在理由に収斂するか否か私には疑問だが、19世紀末から20世紀初期にかけて、多くの芸術家が提出したこの答えにたいして、まだ私たちが明確な一定の反応なり態度なりを示せずにいるということは確かであろう。

さて、第一次大戦後、フランスの領土になったアルザスに移住した、マルグリット・モーリー、本名マルガレーテ・ケーニヒは、やはり外科医の補助をする看護師のしごとをここでつづけていた(アルザスはフランス領といっても、住民はドイツ語〔厳密にはそのアルザス方言だが〕を話していたので住みやすかったとも考えられる。この地方の住民がまるでピュアなフランス語を話していたかのように書いた、フランスの三文右翼作家ドーデの『最後の授業』は、ウソの固まりだ)。

また、よくマルグリット・モーリーは「生化学者」などといわれるが、少なくとも、今日biochemistry(生化学)というタームが意味するものは、彼女が「研究」していたとされるものとは大幅に異なることも知っておいて欲しい。

フランスで、ホメオパシー医のモーリーと知り合った彼女は、モーリーと再婚し、以後自分の名前もフランス風にMarguerite Maury (マルグリット・モーリー)と変え、それからは、ずっとこの名で通した。

ホメオパシー医の夫のモーリーは、中国やインドやチベットの宗教・哲学などにかなり詳しかったとみえ(正確だったかどうかは別問題だ)、マルグリットは夫からその方面の知識を教わった。

また、マルグリットは、はやくも、1835年にフランスで出版された"Les Grandes Possibilités par les Matières Odoriférantes " (芳香物質の大きな可能性)という本を入手し、これをよく読んだ。この本は、フランスのシャバーヌ博士が著したもので、同書は1937年にルネ=モーリス・ガットフォセの出した"Aromathérapie"とならんで、彼女の座右の書となった。また、マルグリットは、神経系に及ぼす精油類の力の研究を行い、これも彼女の「アロマテラピー」理論の基礎となった。
 
マルグリットも夫のモーリーも 、文学・美術(マルグリットの場合は自殺した父からの影響もあったものと思う)・音楽など、芸術一般にともども深い興味を寄せていた。この二人が、アンナ・パヴロワがウィーンで、ベルリンで、ミラノで、パリで時代を画するバレエを発表したことを、またディアギレフの「バレエ・リュス」のエポックメーキングな成果のことをさまざまに語り尽くしことは想像に難くない。

ここに、私はバレエと、総じて芸術とアロマテラピーとの幸福な結婚を見いだすのである。

 
そうしたことが、一体となって、マルグリットは人間の嗅覚・触覚などを、芸術と同様に陶酔させようという、ルネ=モーリス・ガットフォセの考え方とはかなり異なったアプローチで人を美しくし、かつ健やかにすることをめざした独自のアロマテラピーを構築した。精神=神経=心理=免疫といった人体の各機能の不可分の関係に、彼女は直観的に気づいていたのであろう。

まだ、当時の医学界は、そこまでの知識を持っていなかったからだ。

マルグリットは女性として、コスメトロジー(美容術・化粧品学)にも強い関心を寄せ、国際エステティック協会(CIDESCO)に関係し、その会長(現在はこう呼ばないそうだが)に2度も就任した。そして、CIDESCO賞をそのコスメトロジーへの貢献を賛えるということで、これまた2度も受賞した。このことについて、いささかお手盛りの感があると本に書いたら、まるで私がイヤミを言っているかのような非難をした人がいた。私は19世紀フランスの詩人、シュリー・プリュドム[Sully Prudhomme]のことを思い起こしたのだ。プリュドムなどという詩人のことを知っている人間は、日本には仏文学の専門家以外はほとんどいないだろう。彼は第1回のノーベル文学賞受賞者だ。この私も本来はフランス文学専門だから、プリュドムの原詩も、その文章もいくつか読んでいる。しかし、本当に心を動かされる彼の詩句にも文章にも一度もであったことがない。
 
しかし、ロシアの文豪レフ・トルストイといえば、『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』、『復活』、さらには『イワンの馬鹿』などで、文学に親しんだ人なら知らぬものはない。彼の作品は、国境を越えて多くの人の魂をゆり動かし、日本では、白樺派まで結成させた。トルストイはノーベル文学賞を決定する際にはその選考委員に任命されていた。当然のことながら、彼はその受賞者に推挙されたが、トルストイはぴしゃりと受賞を謝絶した。その立場上、当然であったろうが、さる方面からシュリー・プリュドムという、フランス国外ではほとんど知られていないフランスの詩人に、どうあってもこの栄えあるノーベル文学賞第一号を与えようとする政治的圧力があったらしい。ま、こんなことはどうでもよいが、私たちはトルストイの作品に触れるたび、いつも深い感動に包まれずにはいない。
 
マルグリット・モーリーのことで、私にイチャモンをつけた女性[だろう]は、たぶんシュリー・プリュドムの作品はおろか、その名も知るまい。第一、その名前すら正確に発音できまい。
マルグリット・モーリーが受賞したとき、彼女は会長の地位を退いていたが、マルグリットは依然として、CIDESCO内で隠然たる勢力をふるっていた。
したがってCIDESCOが最優秀エステティシエンヌに賞を授与するとなれば、彼女に与えるしかなかったのだ。このことを、マルグリットの弟子だったダニエル・ライマンに確かめたところ、ダニエルは苦笑まじりに肩をすくめ、「仕方なかったんですよ(Que voulez-vous?)何しろ、技術面でも理論面でも彼女に比肩できる女性はいなかったのですから(Elle était sans égale)」と言っていた。 

だから、マルグリットの受賞には「お手盛りの感がある」と私は言ったのである。そのくらいのことは調べてから、人に文句をつけるものですよ、お嬢さん、いやおばさん。

マルグリット・モーリーは、フランスやスイスなどヨーロッパ各地にクリニックを開き、アロマテラピーによる美容法をクライアントたちに施術した。そして、そのかたわら、自分の生徒たちにエネルギッシュに(しかし、何か秘密の宗教でも伝授するように)、自分のアロマテラピーを教えた。
ここに、藤田博士は黒魔術の臭いをお嗅ぎになるのだろう。
 
私が、ロンドンで知り合っていらい友人となっているマルグリットの愛弟子、ダニエル・ライマンが彼女の死後、実質的にそのあとを継ぐことになったが、20歳代半ばの彼女にはクリニックの運営は大変な重荷だったとのことだ。
 
マルグリットの弟子として、その後の英国のアロマラピーの教師になったのは、上述のダニエル・ライマン、ミシュリーヌ・アルシエ、シャーリー・プライスらがいる。とくに、1968年にマルグリットが脳卒中で死去したとき、もっとも近くで彼女を看取ったダニエル・ライマンは、「私はマルグリットの心のこども(マルグリットにはこどもがいなかった)であり、生徒でした。彼女は私の人生のメントール(賢明で信頼のおける助言者)でした」と。繰り返し言っている。

クライアントを感覚を通して陶酔させ、エクスタシーに導くことを主眼としたマルグリット・モーリーのアロマテラピーは、芸術的アロマテラピーというのは言いすぎかも知れない。しかし、私はマルグリットとその夫とが創り出したアロマテラピーは、ある意味で「バレエ・リュス」がメタモルフォーズして生まれ変わったものの一つだと私は信じている。

2015年5月23日土曜日

ジャン・バルネは、大戦中はもとより第1次インドシナ戦争中にもアロマテラピーを実践していなかった!

ポーランドの作家、シェンキエヴィチの小説”QUO VADIS”に登場する人物に、キロ・キロニデスなる毒舌家がいる。

キロニデスに言わせると、この世には、頭蓋骨の中に脳味噌を入れていて、物事をヒトとしてマトモに考察できる人間と、頭蓋骨に膀胱を鎮座させていて、外見こそ人間だが、ものごとをロクに考えることもできない「エセ人間」がいるらしい。

 この「膀胱人間」を、化学用語の芳香族をモジって「膀胱族」と、かりに呼ばせてもらおう。

アロマテラピーの中興の祖、ジャン・バルネは、1920年にフランスのフランシュ:コンテ地方(フランス東部に位置する、昔の州名)に生まれた。ラ・フレーシュ陸軍幼年学校を卒業したのち、陸軍衛生学校で医学の基礎を学んでいた。

 ジャン・バルネが20歳の時の1940年5月10日、ナチスドイツ軍はフランスの誇るマジノ線という現代版万里の長城みたいなチャナなしろものをアッという間もなく突破し、開戦からたったの1カ月すこしでフランスを手もなくねじ伏せ、フランスはあっけなく(だらしなく)、ナチスドイツに降伏した。その原因は多々あげられるが、時のフランス陸軍総司令官モーリス・ギュスターブ・ガムランが脳梅毒で思考力がゼロになっていたことが何よりも大きい(こんな男は「膀胱族」の最たるものだろう)。
 そしてまた、軍の先頭で将兵を指揮すべき立場にあったシャルル・ドゴールが戦場を放棄してはやばやと英国に逃亡してしまって、フランス軍をしっかり統率しうる人物が皆無だったことも、フランスの敗因だった。

 こうした状況下で、ナチスドイツ軍がかなり手を焼いたのが、フランス国内で、占領軍と、ナチスドイツの傀儡(かいらい)政権との威嚇に屈しないで対独闘争を展開していた対独抵抗勢力(レジスタンス派)であった。

学業半ばの21~22歳の学徒だったジャン・バルネ青年も、このレジスタンスに身を投じた。とはいっても、彼の年齢を考えてほしい。こんな若僧がメスを振るって負傷兵の本格的な手当てにあたることなどムリだ(注射はできたが)。ジャン・バルネ青年の任務は、もっぱらペニシリンなど最新の医薬品や消毒剤、包帯用品、注射器、メスなどを実際の負傷兵の応急装置を講じる先輩医師たちに、夜の闇にまぎれて届けることだった。
彼は書いている。

 「1945年2月、ブザンソンにおかれた412後送病院で外科業務に配属されていた私は、最も危険な場合を含めて、戦傷の治療にペニシリンが果たすめざましい効果のかずかずを学ぶことができた。

 ある晩のこと、コルマールでの戦闘のあと、数時間のうちに400名以上の負傷者を受け入れることになり、私はストランスブールに行って、私たちに必要なペニシリンの補充分をとってこなければならなくなった。1945年2月のブザンソン=ストランスブール間の往復の行程は、まさに大変な旅であった。雨氷、砲弾の跡、ふつうならとっくに引退しているようなジープのすり減ったショックアブソーバー、こういったもののすべてのせいで、しっかりした注意力が失われ、脊柱の頼りないバランスが手ひどく痛めつけられた。私は一晩中旅行をして、朝の5時ごろストラスブールのペニシリン保管所についた。

 日がのぼったとき、私はそれぞれ10万単位のペニシリンを50ボトル入れた箱を2箱、車に積みこむことができ、そのまま412病院にもどった。

 10万単位のペニシリン計100ボトル、すなわち1,000万単位のこの抗生物質ペニシリンで、当時は60本ほどの『脚』を助けることができ、(この頃は10万単位から20万単位で十分だった)、20体の『腹部』、あるいは同数の『胸部』を救うのに十分だったのである。」

 当時のジャン・バルネは正式な軍医ではなかった。軍医の助手であり、見習いであった。だから、彼が傷病兵に行っていたのは、あくまで、本物の軍医が執刀し、施術する前の予備的治療であった。つまり、負傷兵に術前措置としてペニシリンを3時間おきに25,000単位ずつ注射していた。これは、もとより先輩上司の軍医の指示に従ってのことだった。

こんな戦場において、どうしてジャン・バルネがアロマテラピーなどというものが行えるだろう。第2次大戦中からジャン・バルネ「博士」は、アロマテラピーを実践していた、などという膀胱族どもの記述を見ると、『ジャン・バルネ博士の植物:芳香療法』の復刊をぜひ実現させたいと思わずにはいられない。

 戦後、リヨン大学の医学部に入ったジャン・バルネは、ここでドクトラ(医学博士号)を取得し、正規の軍医となった。

 対独レジスタンス時代のジャン・バルネには、ペニシリンの副作用などに思いを致した形跡は、まったくと言ってよいほどない。考えてみれば当然である。致死的な細菌だらけの戦場、すさまじい速度でふりそそぐ銃弾、砲弾、それが爆発したあと、あたりの風景が一変する戦場、前を行く戦友の頭部が機関砲の一発で吹き飛び、頭を失った体が頸部から血を吹き上げながら5~6歩進んで、つまずいて倒れてそのままボロキレのように動かなくなる戦場。そんなところでの唯一の頼みの綱が抗生物質だったからだ。副作用?そんなのはぜいたく人間のタワゴトだと、戦場臨床医の誰もが思ったろう。

 1950年から52年にかけてジャン・バルネ軍医大尉がトンキン(現ハノイ)の第1前線外科医療班の外科医だったときと、そのあとサイゴン(現ホーチミン)の415後送病院に勤務していた時に、彼は時間をかけて、負傷兵の国籍別に、当時の主要な治療薬だったサルファ剤と抗生物質剤との(この時点ではペニシリン以外にも多くの抗生物質剤が開発され、米国からフランス側にどんどん提供されていた)有効性の度合いを比較する様々な研究を行った。そして、博士は「これらのサルファ剤や抗生物質剤などがヨーロッパ人よりもベトナム人、アフリカ人負傷者の方にはるかに著しい効果を上げるのを確かめることができた。これは、これらの国民の大部分がこうした薬剤で治療を受けた経験が全くないからである」と結論している。

 この第1次インドシナ戦争のフランス軍は、いわゆる外人部隊であり、旧ナチスドイツ兵、徴兵されたアルジェリア人、南ベトナム人などで構成されていたことは前述した。そのことを想起してほしい。

 ジャン・バルネ博士がこの第1次インドシナ戦争時に少しばかりアロマテラピーを実践したという(神話)があるが、博士自身は一度もそれについて具体的に触れた記述をしていない。だから博士がこの時期にアロマテラピーを実践したという実証はなにもないのだ。そして、このような伝説が生まれた背景には、ジャン・バルネ軍医はアロマテラピーを戦火の中で縦横に施術してほしいという一般のファンの願いのようなものがこうした形で結晶したのではないだろうか。

 抗生物質剤(ペニシリン・ストレプトマイシン・テラマイシン・オーレオマイシン・クロラムフェニコール・テトラサイクリンなど)にたいして、その安易な使用に警鐘を鳴らしはじめたのも、彼の軍籍離脱後であり、アロマテラピー(といっても、博士の説くアロマテラピーなるものとは、現代のアロマテラピーとは厳密に言って別物である。これについては、いずれはっきり述べるつもりだ)を研究し、抗生物質剤使用への一つの代案としてこれを世に問うたのも、すべて市井の一医師となってからである。

 それから、「膀胱族」のあいだで喧伝される「マルグリット・モーリーは、ルネ=モーリス・ガットフォセの弟子だった、マルグリット・モーリーはジャン・バルネ博士の弟子だった」というたぐいのホラ話は、もういいかげんにやめてもらいたい。そうしたヨタ話をあえてするなら、ハッキリした根拠を示して言うが良い。
でないと、日本の民度の低さを示すばかりだ。

2015年2月18日水曜日

レモン | エッセンス類を買うときには注意して!(39)

レモン エッセンス
学名 Citrus limon (L.) Burm.f.
    C. limon Risso
主産地 イタリア、スペイン、米国、アルゼンチンなど

 レモンは、ヒマラヤ、インド北東部が原産地のミカン科の常緑のカンキツ類果樹。フランス語ではシトロン(Citron)と称する。しかし、学問的にはこれは誤りで、本物のシトロンはCitrus medicaである。
 しかし、C. limonとC. medicaとが近縁であることは確かであり、C. medicaからC. limonが派生したようだ(Citrus limonという学名は、以前はC. limonumと表記した)。

 ヨーロッパにはアラブ人によって北アフリカに伝えられ、12世紀にはスペインやカナリア諸島などに伝播(でんぱ)し、13世紀にはイタリア半島にもちこまれ、シチリア島を中心にレモン栽培が産業化された。

 中国には宋の時代(960~1279)に伝わった。米大陸にはコロンブスの新大陸到達の1492年の翌年に早くももちこまれ、以降カリフォルニア、アリゾナで広範に栽培された。

 日本には1873年に伝来し、太平洋戦争前には気候が地中海に似た瀬戸内海の島々で、レモンの果実が年間3000トンほど収穫されていたが、敗戦後は米国からの輸入レモンに圧倒され、わが国のレモン栽培は衰えてしまった。

 現在では米国から年間10万~1 3万トンもの果実を輸入しているが、米国の業者は日本向けに輸出するレモンには発ガン性のある防カビ剤をたっぷりかけ、そうしたポストハーベスト剤にやかましい欧州への輸出レモンには、こうしたことをしないようにしている(だから、紅茶にはミルクを入れて飲むことを、ぜひともお勧めする。「レモンティー」はおやめなさい。紅茶にレモン片などを入れて飲むのは、そもそも邪道です、と警視庁特命係の杉下右京が言っていた)。

エッセンスの抽出
 レモンの果皮を集めて、これを冷搾してエッセンスを得る。レモンエッセンス1kgを採るのに、3000個分の果皮が必要。この果皮を水蒸気蒸留して抽出したものはレモンエッスンスではなく、レモン油である。ここをまちがえないでいただきたい。このエッセンスは、爽やかな香りを放ち、無色、淡黄色ないし緑がかった色を呈する。

レモンエッセンスの主要成分(%で示す)


d‐リモネン 60-80
α‐ピネン 1-4
β‐ピネン 0.4-15
γ‐テルピネン 6-14
ゲラ二アール 1-3
ネラール 0.2-1.3
ミルセン 0-13
p‐シメン 0-2
α‐ベルガモテン 0-2.5

微少成分
 フロクマリン類

偽和の問題
 レモンエッセンスを含むいろいろなカンキツ類のエッセンスは、folding(フォールディング)とwashing(ウォッシング)という方法で処理することが多い。これらの処置を施すと、原料が希薄な空気中で加熱されてテルペン類の一部が蒸散し、またアルコールを溶かした水に原料を入れて洗い24時間も撹拌すると、さらに脱テルペンがどんどん進行する。これでは、天然自然のエッセンスからほど遠いものになってしまう(ルネ=モーリス・ガットフォセが、これをよしとしていたことを忘れてはならない)。

 レモンエッセンスは、果皮を蒸留してとったレモン精油で偽和されることも多い。脱テルペン精油、脱セスキテルペン精油、合成リモネン、合成シトラール、合成ジペンテンを加えて増量することも多々ある。

 この手の偽和は、ガスクロマトグラフィーによる分析でも看破することはむずかしい。安く手に入るレモングラス油からとったシトラールを添加する業者も少なくない。オレンジ油をレモンエッセンスに加えて増量する輩もザラである(真正のレモンエッセンスは、オレンジ油の10倍もすることを念願におかれたい)。

 また、カンキツ類のエッセンスはいずれも酸化して劣化しやすいために、各種の抗酸化剤をこっそりこれらに加えて棚おき寿命を伸ばそうとする悪党どももアトを絶たない。

毒性の問題
・LD50値
 >5g/kg (経口) ラットにおいて
 >5g/kg (経皮) ウサギにおいて

・刺激性・感作性
 10%から100%まで濃度を変えてテストしたが、いずれも認められなかった。

・光毒性
 試験に供したレモンエッセンスの化学的な組成、ならびに被験者の感受性に依存して結果が変動するので、一概にはいえない。

作用
・薬理学的作用 モルモットの回腸において(in vitroで)、強烈な痙攣惹起作用を示した。

・抗菌作用
 最近の研究によれば、一般に弱いことがわかった。ジャン・バルネ博士が強力な殺菌力があるといっているのは、あくまでもレモンの果汁のことである。

・抗真菌作用
 テストした真菌の種類によって、各種各様の結果がみられた。一概にはいえない。

・その他の作用
 レモンエッセンスはCNVの波形を見ると鎮静効果があることがわかる。しかしまた、病院にいる患者の近くでこれをスプレーすると、その「うつ状態」が改善をみたとの報告もある。さらに、d‐リモネンを配合した薬剤が胆石を溶解するために利用されてきたことも付言しておきたい。

2014年12月16日火曜日

ラベンダー(真正ならびにスパイク種) | 精油類を買うときには注意して!(37)

ラベンダー(真正、ならびにスパイク種)油
 
 
 さあ、みなさん、いよいよアロマテラピーで使用される精油のスターの登場だ。この精油の効用は、昔から南フランスの農民たちが知っていて、これを外用にしたり内用したりして、外傷とかやけどとか、腹痛の緩和とかに活用していた。
それを香料会社を経営していたルネ=モーリス・ガットフォセが自分の負った全治三ヶ月にも及ぶ上半身の大やけどに適用してみて、その効果を自分の体で実感して「アロマテラピー、aromathérapie」と名付け、精油を用いた自然療法の可能性を唱えた。この際のエピソードについて、ずいぶん長いことウソ八百がまかり通ってきたことは何度もこのブログで私が述べてきた通りである。その責任の一端はジャン・バルネ博士にあり、その著作をパクった英国人のロバート・ティスランドにあり、さらにこの両者の著作をそれぞれフランス語・英語の原典から訳したこの私にもある。この場をかりておわび申し上げる。
 
 ラベンダーはシソ科の小低木で、ご存知のように7〜8月ごろにうす紫色の小さい花を長い花 柄の先端に6〜10個ずつ輪状につける。地中海からアルプスの山腹にかけて、標高800〜1800メートルのアルカリ性土壌の土地に生える。
 ラベンダーは日本に江戸時代の文化年間、つまり1804年から1818年に蘭学者の書いたものに「ラワンデル」として記載されており、当時すでに、何らかのかたちでこの植物が日本に渡来していたと考えてよいだろう。また、スパイクラベンダーも「ヒロハラワンデル」として蘭学者が紹介している。
 
 現在、真正ラベンダーの主要な産地は、ブルガリア、フランス、イタリア、スペイン、中国、タスマニア、米国の一部などである。日本でも北海道で富田忠雄氏らの努力で、真正ラベンダーの一種「オカムラサキ」などが植栽されている(精油の生産量は決して多くはないが)。
 アロマテラピー発祥の地、フランスでの真正ラベンダー油の生産量は毎年減少の一途をたどっている。そして、その代りにラバンジン油がどんどん増産されている。この事情は前回記した通りである。
 
 
 学名 Lavandula angustifolia var. angustifolia P. Miller
    またL. officinalis, L. veraという別名もある。
    (ただし、ブルガリアの研究者によるとL. angustifoliaとL. veraとは、極めて近縁ながらそれぞれ別種だとのこと)
 
 精油の抽出 花の咲いた先端部分(てっぺんから20〜30センチぐらい)を水蒸気蒸留して採油する。
 
 ラバンジンは、上述の真正ラベンダーとスパイクラベンダー(L. spicaあるいはL. latifoliaと略記する)との交雑種である。
 スパイクラベンダーは、真正ラベンダーより、標高の低い土地に生育する。これらのラベンダーの精油について、その主要成分をマリア=リズ・バルチン博士は下記のように示している。
 
主要成分(%で示す。生育条件により変動があることは言うまでもない)
              真正ラベンダー    スパイクラベンダー    ラバンジン
 リナロール         6〜50       11〜54       24〜41
 リナリルアセテート     7〜56       0.8〜15        2〜34
 1,8-シネオール       0〜5        25〜37       6〜26
 ラバンズロール       0〜7        0.3〜0.7        0.8〜1.4
 ラバンズリルアセテート   5〜30       0           <3.5
 カンファー         0〜0.8        9〜60        0.4〜12
 
 これらのラベンダーには、微小成分としてシス-オシメン、トランス-オシメン、3-オクタノンなどが含まれる。真正ラベンダーにはまた、ボルネオールが最高1.8%まで含まれる。
 
・偽和の問題
 ISO基準は、真正ラベンダー油は25〜45%のリナリルアセテートの含有量であること、またリナロールは25〜38%含むことを求めている。そこで成分をアセチル化したラバンジン油、合成したリナリルアセテート、合成リナロール、芳樟油の留分などを加えて増量することがひろく行われている。そういう業者に限って、もっともらしい分析表をつけたりする。真正ラベンダー油よりずっと安価なラバンジン油を真正ラベンダー油と偽って売ることはザラである。
 
・毒性
 LD50値
  真正ラベンダー油・ラバンジン油ともに、
   >5g/kg(経口) ラットにおいて
   >5g/kg(経皮) ウサギにおいて
  スパイクラベンダー油は、
   4g/kg(経口) ラットにおいて
   >2g/kg(経皮) ウサギにおいて
 刺激性・感作性
   真正ラベンダー油は、ヒトにおいて10%濃度でこれらはいずれも認められなかった。スパイクラベンダー油はヒトにおいて8%濃度で、またラバンジン油はヒトにおいて5%濃度でこれらはみられなかった。
 光毒性
   真正ラベンダー油、スパイクラベンダー油、ラバンジン油のいずれにおいても、光毒性が認められたとの報告はゼロである。
 
・作用
 薬理学的作用 上記の各種ラベンダー油は、たいていどれもモルモットの回腸において(in vitroで)、鎮痙効果がみられた。しかし、それに先立って、まず痙攣惹起効果が上記の実験動物のおよそ半分で認められた。イヌにおいて(in vitroで)、平滑筋のトーヌス(正常な緊張)、律動性収縮運動、蠕動運動のそれぞれが、これらのラベンダー油の投与によって向上することが判明した。
 
 抗菌作用 真正ラベンダー油の作用については、試験例によってさまざまな変動がある。精油自体は、およそ5分の3の細菌で活性を示している。
 またこの精油の上記は、約5分の1の細菌に有効であった。ラバンジン油は、蒸散させたかたちで試験対象の細菌類のおよそ5分の1に効果を発揮し、スパイクラベンダー油は約25分の18に対して活性があった。
 
 抗真菌作用 真正ラベンダー油ならびにラバンジン油は、試験に供した5種の真菌に対し、すべてこの効果を示した。しかし、研究者によっては、さしてこの作用は強くなかったと報告しているものもいる。ラバンジン油とスパイクラベンダー油とは、一般に真正ラベンダー油にくらべて、この効果は低いようだ。
 
 その他の作用 真正ラベンダー油は、マウスとヒトとの双方において、鎮静作用を発揮することが確かめられている。ヒトの場合、CNVの波形データも、この事実を裏付けている。
  真正ラベンダー油およびラバンジン油には、一定の抗酸化効果が認められるが、スパイクラベンダー油にはこの作用は期待できない。
  ルネ=モーリス・ガットフォセは、「脱テルペン」した真正ラベンダー油を未希釈で適用すると開放創の治療によいとしている。脱テルペンしたものが、マックスの効果を発揮すると、彼はくどくいっている。
  英国などのアロマセラピストが伝えているこの精油の効果については、ここではとても書ききれない。私にはあまり信じられないような真正ラベンダー油の「効きめ」も少なくない。まあ一つ、私が訳したもののうち、J.ローレスの『ラベンダー油』、W. セラーの『アロマテラピーのための84の精油』などをごらんください。
 
付記①
 真正ラベンダー油の芳香は、欧米人は90%ぐらいの人が好むが、日本人の2人に1人、あるいは3人に1人は、この精油のにおいが嫌いなようだ。私の長年の友人で、ハーブ専門家・園芸家の槙島みどり氏は、ご母堂が重い病気で入院した折、その足をラベンダー油でマッサージしたところ、同じ病室の女性患者からヒステリックに 「やめて!そのにおい嫌いなの!」 とどなられた経験をお持ちと聞いた。私が英国人にその話をしたら、「あんなに良い香りなのに、信じられない!」といわれたことがある。タイム油の香りも日本人と英米人、フランス人とでは、ずいぶんうけとりかたががちがう。においに対する好き嫌いには、民族によって違いがあるのは仕方がない。嫌いな香りの精油を適用されても、効きめは期待できまい。心理的なバリアがせっかくの効果の発現を抑制してしまうからである。「そこがアロマテラピーのツレエところよ」と寅さんが言いそうだ。
 
付記②
 フランスのハーバリストのモーリス・メッセゲは、その著作『メッセゲ氏の薬草療法』の中で書いている。
 「ある日、悲劇がおきました。家の飼い犬のミスが、マムシに咬まれてしまったのです。父はすぐさま丘のほうにでかけて行き、一束のラベンダーをとってきて、それでミスの傷のところを時間をかけてこすってやっていました。翌日になると、愛犬の容体は快方にむかい、その次の日には、ミスは完全に助かりました。ラベンダーの一種がどうしてアスピック(アルプスに住むクサリヘビ科の毒蛇。英語でspike)などと呼ばれているのか、いまではよくわかります。これが爬虫類の毒に対してよく効く解毒剤になるからです。」
 アスピック(aspic)は、フランス語でスパイクラベンダーのことでもある。
 この話が逆転してか、ラベンダーの花には毒ヘビがすむとして、ヨーロッパでは花輪などにはこれを決して入れない。その花言葉にも「沈黙」、「疑惑」などというのがある。ラベンダーエッセンスの鎮静作用が反映されているのかもしれない。
 
付記③
 どの精油・エッセンスに関してもいえることだが、アロマテラピー用のものは、絶対に100パーセント天然の、すなわち野生もしくは栽培された植物から直接抽出したものでなければならない。アロマテラピーのスター的な精油、ラベンダー油に関しては、とりわけそうである。
 
 しかし、「100パーセント天然ですよ」と言わない業者はいないから、コトは厄介だ。ラベンダー油についていうと、天然のものだ、100パーセントピュアだといっても、香料会社系の業者は、いろいろな地域でとれたラベンダーから採油したさまざまな「真正ラベンダー油」を混ぜ合わせることがよくある。これを「調合精油」という。こうした業者は、本来は香水・賦香剤の原料としてラベンダー油を売っている。その一部をアロマテラピー用に販売しているわけである。
 ラベンダー油は香水では主役にならないが、主役となる精油なりエッセンスなりの芳香をぐんと引き立てる名脇役だ。だから、多くの香水にラベンダー油が配合されている。でも、このラベンダー油はテラピー用ではないので、合成増量剤で水増しした精油であるのがふつうである。調合精油はやや「良心的」ではあるが、これもあくまで香水などの世界でのみ通用する話に過ぎない。
 
 はっきり言うが、この調合精油も、アロマテラピー用には利用できない。天然精油の持つ「生命力」を殺し、ただの化学的成分の集団にしてしまっているからである。これでは工業製品と何ら変わりがない。アロマテラピー用の精油は、年々歳々成分が変動する「生きもの」であって、断じて工業製品ではない。
 
 もう一つ言わせて頂こう。いまアロマテラピーの発祥の地、フランスでの真正ラベンダー精油の生産量が激減していることは前述の通りだが、その抽出方法もひどい状態になっている。いいですか、以前は大気圧を少し上回る圧力下で、蒸気の温度も102℃ぐらいで、12時間もかけてゆっくりと蒸留していた。こうしてできた精油には、十分に有効成分が有機的に、いわば植物の生命力を保存しながら含まれていた。これが本来の天然の100パーセントピュアなアロマテラピー用の精油の要件を満足するものである。だが、遺憾ながら、現在のフランスでは、ラベンダーに高圧をかけ、当然高熱の蒸気にさらして、たったの15分ぐらいでラベンダー油が抽出されている。これでは多くの有効成分がメチャメチャに破壊されてしまう。これではたまったものではない。
これは「天然100パーセント」という看板を掲げたニセモノとしか言いようがない。
 
 英国で精油会社を経営するマギー・ティスランドさんと話をしたとき、私は彼女がこの事実をなんとも思っていないのに愕然とした。マギーさんの売っているラベンダー精油は、まさにこの手のフランス産の品である。マギーさんは好感のもてる女性だし、マッサージオイルにサザンカ油を活用してはどうかとの私の提案も受け入れてくれ、実地に施術したり、被術者になったりして、その有効性を確認してくれて、「高山さん、サザンカ油良かったわよ!」などとその結果を来日して私に知らせてくれてもくれた。惜しむらくは、彼女は以前の連れ合いの自称アロマラピー専門家、あのヒッピー崩れのロバート・ティスランドの悪影響をうけ、それからまだ抜け出せずにいることである。迷信深く、バッチのフラワーレメディーの盲信派だったりするところも、ロバートそっくりだ。まあ、彼女も「ヒッピー崩れ」なんだからやむを得ない面もあるが、マギーさんにはもう少し科学的・批判的な精神をもってほしいと私は友人の一人として切に願っている。
 
 付記④
 天然の真正ラベンダー油に、合成リナロールを加えたニセモノは多いが、ガスクロマトグラフィーで分析すれば、ニセモノにはジヒドロリナロールが検出されるので、一目でそれとわかる。

2014年8月19日火曜日

〔コラム〕精油レシピ集を発表するにあたって

 私は、これまで、この「R林太郎語録」を通じて、日本に最初にアロマテラピーを紹介した者として、多くの「アロマテラピー」関係者が無視し、あるいは軽視してきた観点から、私がアロマテラピーをいかに日本人に伝えてきたかをできるだけ誠実に記述してきた。

 これを「暴露」だと騒ぎ立てる超低IQの、到底ホモ・サピエンスの要件を満足させているとは考えられぬ一見人間型の動物どもが存在する。イヌ・ネコは、どこまでいってもイヌ・ネコである。真実をきちんと述べることを「暴露」とほざくなら、私はこれからも真実を暴露し続けていくことを、明治のジャーナリスト黒岩涙香に倣って、おのれの使命としてみずからに課していくつもりである。
 いままで、自分がアロマテラピーを、法外な高い料金をとって生徒たちに教えてきたこの亜人間どもは、それがデタラメだったことが多くの生徒たちに知られ、自分の権威(笑わせてはいけない)が失墜してしまうので、この私を「筆者の人格を疑う」だの「いままでの筆者にたいする評価がぐんと下がってしまった」だのと、酔いどれのろれつのまわらぬタワゴトのような下らぬ感想を並べている。
 私に異論があるなら、堂々とシラフで言うがよい。冷静に常識と論理とをもって私を論破してみるがよい。幼稚園児にもあざけられるようなバカらしい愚劣なセリフをならべて恥ずかしいとも思わないのだから、この連中は「亜人間」ないし人間型の動物としか、私には彼らを形容するすべがない。
 人間が完璧な存在でないことは、私自身よく知っている。しかし、何かを記述し、とくにそれを人に教示する場合には、自分の力の及ぶ限りの努力をして、他人の説くところが真実であるか否かをを徹底的に吟味し、その真偽を能(あた)う限り調べあげなければならない。私だってまちがったことはいくどもある。
 しかし、そのつど、外国へ行ってその説を唱えた本人に直接会っておのれが十二分に納得するまでその当人に問いつめたし、さまざまな意味で信頼のおける専門家に面会して見解を求めたり、そうした人々の著書をつねに批判的に読んだりして、おのれの理解を深めてきた。自分が誤解していたことを人に伝えてしまったような場合には、土下座でもなんでもしてあやまったものだ。
 だから、私は「個人崇拝」など絶対にしない。ルネ=モーリス・ガットフォセであれ、マルグリット・モーリーであれ、ジャン・バルネ博士であれ、間違っていると思われる部分は容赦なく剔抉(てっけつ)し、批判をしていく。それが、アロマテラピーをさらに深く私自身が理解し、亜人間どもとちがって正常な知性をもってアロマテラピーを考える方がたを助けることになるのだから。
 
 ここまで20数種にわたる精油(アブソリュートも含めて)について、いま市販されている品の私なりの評価をしてきた。精油を扱う良心的な業者の方がたのご意見もじっくりうけたまわって、このままでは「アロマテラピー」がもはやテラピーたる資格を失ってしまう危機感をひしひしと覚えた。その気持ちが、どれほどの人びとに伝わっただろうか。だが、ものを考えることのできる人間ならば、断じて大勢に盲従してはならない、と私は強く強く訴えたい。
 ここで少し話を変える。私は、いま書店に並んでいるアロマテラピー関係書を手に取ってみて、それがことごとく、How to本だと思わずにはいられない。
 しかし、私は故・藤田忠男博士の表現を借りれば「焚書」にされた私の本でもこの「語録」でも、How to的態度をとらず、Why soという哲学的な観点からアロマテラピーを考えてきたつもりだ。そして、それはそれで正しいと私は思っている。
 しかし、多くの人びとから個人的に私に寄せられる意見として、世間にでまわっているコピペにコピペを重ねた無責任な精油のレシピではない、きちんと理論的に整合性のある、「人体のさまざまな反射作用を活発化させ」、「ホルモンの調整作用を強化し」、「体内の諸酵素の働きを活性化し」、「血液の状態を正常化し、調和させ」、「体液のバイオエレクトリカルな要素の均衡(これの詳細については〔アロマテラピー大全〕を参照されたい)の回復を図る」ことをめざした精油の新しいレシピを示してほしいというご意見に接して、その声にお応えするのも、アロマテラピーをご理解頂く一つの道だと考えるようになった。
 
 そこで、これから残るところあと10数種あまりの精油の解説と合わせて、随時そうしたレシピをいくつか提示させて頂くつもりでいる。
 ただし、その際に用いる精油は、以下の要件を満足するものでなければ、これらのレシピは無益なものとなってしまうと心得られたい。すなわち、
 ・その精油の原料植物が、100パーセントまちがいなく、その植物だと同定されているものであること。
 ・その原料植物が正しいやりかたで収穫されたものであること。
 ・ケモタイプを十分に考慮に入れていること。
 ・水蒸気蒸留抽出(エッセンスならば圧搾抽出)したものであること。
 ・100パーセント自然なピュアな精油であること(たとえ天然精油でも、いくつかの産地の精油を調合したものは、天然自然の精油とはいえない)。
 ・脱色処理、過酸化処理、特定の成分の人為的除去などをうけていない精油であること。
 ・搾油してからあまり時間が経過しておらず、かつ光と熱とから離れたところに保管されたものであること。
 ・およそ天然自然からかけ離れた、化学的な増量剤などを含んでいる香水用の精油は論外である。絶対に使用しないこと。
 
なお、このほか必要な事項は、その都度記述していくつもりである。
 
 レシピは、順不同に掲載させて頂く。
 はじめに、簡単な例をあげておこう。今回はここまでにしておく。
 
 ●不整脈(そのほか各種の心臓の律動異常)
  アンジェリカ(Angelica alchangelica)油
  スウィートオレンジ(Citrus aurantium var. dulce)油
  ヘリクリスム(Helichrysum italicum)油
  ラベンダー(Lavandula angustifolia var. angustifolia)油
  バジル(Ocimum basilicum)油
  ローズマリー・カンファーケモタイプ(Rosmarinus officinaris camphoriferum)油
 
 これらを両手首、両足の裏、とくに土踏まずの部分にすりこむ。
 これらの各種精油を、ホホバ油そのほかのキャリヤーオイルに5〜6%濃度に稀釈したものをそれぞれいっしょに(等量ずつ)合わせて、それを指定した箇所にすりこむ(1日に3〜4回)。この稀釈の度合い、ブレンドの仕方、トリートメントは、これに続く各レシピのすべてでおおむね同様にする。 

2014年7月1日火曜日

インドシナ戦争時のジャン・バルネ博士

Dr Jean Valnet at Vinh-Yen.ベトナムのトンキン軍管区第1前進外科処置部隊主任として負傷兵の処置にあたる軍医隊長、ジャン・バルネ大尉(ヴィン=イェンの戦闘において)
photo : Ch.K.女史提供 
 
 
 
インドシナ戦争時のジャン・バルネ博士
 高山 林太郎
 
 1946年から54年にかけて、新たに建国したベトナム民主共和国が、インドシナの支配権の回復をもくろむフランスに対して行った独立戦争をインドシナ戦争という。
 米国からの膨大な援助資金と武器との支援をうけて、制空権を握ったにもかかわらず、54年5月ディエンビエンフーでの決戦で、フランス軍は大敗した。
 思えば、ナポレオンがロシアで大敗して以降のフランス軍は、ヘナヘナというイメージしかない。
 
 このフランス軍のほとんどは、いわゆる「外人部隊」(旧ナチスドイツ兵、アルジェリア兵、南ベトナムで徴兵した兵士など)からなっていた。旧ナチスドイツ兵は第二次大戦中、東部戦線でソ連軍に徹底的に粉砕され、祖国ドイツは米英空軍の猛爆で廃墟同然になり、働き口もなかったので、やむなく昨日まで自分たちが支配していたフランスの、その外人部隊に自分の身体と命とを売ったのだ。
 つい先日まで自分たちにペコペコしていたフランス人にアゴでこき使われるドイツ人たちは、なんの恨みもないベトナム人を相手に、地球の裏側で、ド・カストリなる焼酎みたいな名前のフランス軍司令官の命令下で戦わされた。戦意などわくわけがない。ドイツ人たちはヤケになってナチスの軍歌を高唱していた。体格も貧弱なベトナム兵の闘志には、最新式の米国製の航空機も大砲も歯が立たなかった。
 このベトナム兵たちの戦いを見たジャン・バルネが、自分自身パルチザン兵として活躍したおのれのかつての姿をそこに重ね合わせなかったはずはない。とはいえ、フランス軍の軍医大尉として、ジャン・バルネは負傷者たちの手当てに懸命にあたった。
 大国フランスは、弱小なベトナム民主共和国に敗北した。ド・カストリ司令官は、ベトナム軍の捕虜の身となった。帝国主義・植民地主義の時代は終わったのである(それにつづくベトナム戦での米国の悪あがきやアルジェリアの対仏独立戦争などはあったが)。
 
 このとき、ジャン・バルネは、オーストラリア・ニュージーランドから送られてきたティートリー油などの精油を実験的に「初めて」使用し、アロマテラピーを実践した。第二次大戦中から彼がアロマテラピーを行っていたように言う人間もいるが、みんな嘘八百だ。
 ジャン・バルネの心中を察するに、これ以降、ほとほと彼は戦争が嫌になったのだろう。政府はレジオン・ドヌール勲章を贈って彼をひきとめようとしたが、ジャン・バルネは軍籍を離れ、民間の病院医となった。彼は決してベトナム人を殺さなかった。第二次大戦中もパルチザンの衛生兵として、祖国のために尽力した。しかし、みずからの手でドイツ兵を殺傷したわけではない。このときは、友軍のため、同志のためにペニシリンを配布し、ドイツに降伏して、その傀儡になった時のフランスのヴィシー政権にさからって、傷ついた戦友たちの命を救ったのである。
 ハーバリストのモーリス・メッセゲは、南仏の一介の民間人にすぎなかったが、ナチスドイツの収容所に送られそうになったときに脱走し、パルチザンの一員となった。彼は自分の手に余るようなサイズの拳銃を与えられ、ドイツ兵を狙撃しようとしたが、ついにその引き金を引けなかったと告白している。
 
 医学により、民間の医術により、人を健康にしようとし、人間の命を救おうと心の底から思うものには、どんな理由があろうとも、人の命を奪うことなどできないのだ。
 この二人のことを考える私は、そう信じて疑わない。アロマテラピーを研究し、実践しているみなさんも、きっと同じ考えをお持ちのことと思う。 
 
なお、民間医となったジャン・バルネ博士は、現代薬学の花形とされた抗生物質剤の使用に疑問を持つようになり「よほど差し迫った状況でないかぎり、抗生物質剤を使わないように」と主張した。
博士は1995年に死去するまで、このことを強く訴え続けた。「植物=芳香療法」は博士にとって抗生物質療法に対する代案の一つだったのである。
母を抗生物質クロラムフェニコールの副作用で失った私の心に、博士のこの言葉は重く響いた。

そして、博士はアロマテラピーを復権させ、これを広めようと本を書いたり、民間の病院で密かに実践したりしたことも付け加えておきたい。
精神病院を含む各種の病院でこれを実践しながら、フランス伝統の植物療法を質的にブレイクスルーさせるものとして、つまりアトミックな植物療法としてのアロマテラピーの体系を構築していったのである。
博士が、雑誌記者のインタビューに答えて、ルネ=モーリス・ガットフォセのいう「アロマテラピー」からはその名前を除いては一切影響を受けていない、と言っているのはそのことを意味しているのだろう。
これが、バルネ博士をアロマテラピーの中興の祖と私が呼ぶゆえんである。

2014年2月13日木曜日

髙山林太郎 緊急手記「ジャン・バルネ博士はロバート・ティスランドをどう見ていたか」

ジャン・バルネ博士は
  ロバート・ティスランドをどう見ていたか

 
髙山林太郎
 

 『アトミックな植物療法』としてのアロマテラピー

 
 ジャン・バルネ博士は、アロマテラピーを「アトミックな植物療法」と呼び、芳香植物のエッセンスを利用するという特殊な形態をとるものではあっても、これを植物療法のカテゴリーに入れて、その成分の作用機序を「あくまで科学的に」解明しようと努力した。
 しかし、それを狡猾にパクり、換骨奪胎(かんこつだったい)した英国のロバート・ティスランドは、バルネ博士の科学的精神を虐殺し、ホメオパシーだのバッチのフラワーレメディーだの星占いだのという、およそ科学性のカケラもないものにすりかえ、英米人の、また日本人のアロマテラピーに対する認識を強引におしゆがめてしまった。人びとのなかには、アロマテラピーをホメオパシー同様に「いかがわしいもの」とみるものが続出したのも当然だ。
 私は、これまでジャン・バルネ博士のロバート・ティスランドに対する思いをよく知らなかった。
 しかし、最近、晩年の博士のことをよく知っている人物からくわしい情報を得て、ただの少しばかり文才のあるチンピラヒッピーだとロバート・ティスランドのことを考えていた私は、自分の愚かさにあきれ果てている。
 
 

 両者を翻訳し、日本に広めた人間として


 ロバート・ティスランドは、こざかしい悪党だったのだ。おのれの金儲けのために、バルネ博士の科学的精神を裏切り、魂を悪魔に売ったのである。そして、英国のアロマテラピーの元祖づらをして、恬然(てんぜん)として恥を知らない下劣なさもしい男だった。
 
 そして、それを訳した私も、結果的にこの悪党の片棒をかつがされてしまった。二十九年前の、私がこの英国で歪曲された療法、あるいはそこに盛りこまれたホメオパシーそのほかの迷信性をよく知らない時点だったとはいえ、そんなことはいまさら何の弁解にもならない。私は自分に一切、免罪符などを与えるつもりはない。
 ジャン・バルネ博士は、自分が説きつづけた科学的アロマテラピーが、英国の教養もない迷信家どもに、金儲けに目がくらんだ連中に土足で踏みにじられ、引き裂かれるのを見て、どれほど悲しみ、心を傷つけられ、かつ怒っていたことか。
この両人の著書をそれぞれ英語・フランス語から訳した私には、誰よりも博士の悲しみと憤怒とが、心臓をえぐられるような痛みとともに、よくよくわかる。
 
 私は、フランスから泳いでも渡れる英国で訳出され刊行されたバルネ博士の原書がほとんど売れず、まったく人びとの話題にもならなかったことを、よく知っている。
 私は、ロバート・ティスランドの“The Art of Aromatherapy 『アロマテラピー:《芳香療法》の理論と実際』”を翻訳し、フレグランスジャーナル社から出す何年も前に、ジャン・バルネ博士の“AROMATHERAPIE : Traitement des maladies par les essences de plantes :ジャン・バルネ博士の植物芳香療法”を試訳していた。
 しかし、私がアロマテラピー書を出したフレグランスジャーナル社は、東販、日販(注:いずれも各出版社の出した本を一般の書店に卸す大手会社)といった取次店に口座をもたず、ダイレクトメールで新刊を人びとに紹介するしかない小出版社である。ここに、書店では売れない、また一般人にはおいそれと販売できないとわかっている、程度の高いバルネ博士の本を、慈善事業だと思って日本最初のアロマテラピー紹介書として刊行してほしいなどと、私にはどうしても同社の社長に頼むことはできなかった。
 そして、結果として、このホメオパシーだのバッチのフラワーエッセンスだの、はては占星術だのというものまでブチこんだ「英国式アロマテラピー」なるインチキだらけのアロマテラピーを日本中に蔓延させてしまい、各種のアロマテラピー協会などという金儲けばかりをめざしているとしか思えない諸団体を雨後のタケノコさながらに生えさせてしまった責任を、私がとらざるを得なくなったと考えている。
 

 もう一度認識していただきたいバルネ博士の植物芳香療法


 全国のみなさんから、こざかしい悪党、ロバート・ティスランドの「共犯者」として、私は弾劾され、罵倒されることを、ここに強く求める。そして、みなさんに深くお詫びするとともに、私は死ぬまでに、ジャン・バルネ博士の墓前にぬかずいて、心の底から許しを乞うつもりでいる。
 ろくに医学など知らぬルネ=モーリス・ガットフォセの着想した「アロマテラピー」を、懸命に医学としてのレールの上に、きちんとのせたジャン・バルネ博士の晩年の心情を察すると、私の胸は後悔の念で張り裂けんばかりに痛みに痛む。
 現代のアロマテラピーは、まさにこのジャン・バルネ博士からスタートした。ジャン・バルネ博士の著書『ジャン・バルネ博士の植物芳香療法』が絶版になって久しい今、このことを、ぜひ再認識して頂きたく、この一文を草した次第である。 

2013年12月10日火曜日

Ylang ylang / Ilang ilang(イランイラン)|精油を買うときには注意して!① (50音順)

 「精油の化学」は12まで続きますが、ちょうど真ん中まできたので、ここらで一休みして気分転換に、精油やエッセンスを買うときに注意しなければならないことをいつくか挙げてみました。このシリーズは50音順で書いていきます。

 イランイラン(Cananga odorata)油

  バンレイシ科の木本の花を蒸留して抽出する精油。
  この木の花を早朝摘んだものを蒸留する。レユニオン島、コモロ島、フィリピン、インドネシア原産。現在はほとんどマダガスカルで生産されている。
 
 ・主要成分(%で示す)
  ゲルマクレンD            5〜10%
  リナロール              2〜19%
  p-クレシル-メチル-エーテル(PCME) 0.5〜16.5%
  ベンジルアセテート          3〜25%
  ベンジルベンゾエート         2〜10%
  ゲラニルアセテート          3〜10%
  β-カリオフィレン           1%
 
 最初に蒸留抽出されるエクストラグレードのイランイラン油は、ほかの各種グレードのイランイラン油よりも、ベンジルアセテート分とp-クレシル-メチル-エーテル(PCME)分を多量に含み、反対にセスキテルペン類の含有量は比較的低い。しかし、この比率はその蒸留のつど大きく変化するので、提供業者同士間でのそれらの比率の差をきちんと示すことはムリである。
 イランイランの花は、そのまま何回も蒸留されるが、それぞれの成分の割合は、大きく異なっている。当然、香りも変化する。
 
 この精油が何度めの蒸留でとったものかによって、精油の品質は高いものから低いものになっていく。最初に抽出されるいちばん高価な留分は、もっとも抽出時間が短く、3時間ほどである。これをエクストラシュペリアーオイルと呼ぶ。さらにまた時間をかけてとるのがエクストラオイル(グレード1)といわれるものである。そしてさらに30分強かけて抽出するものがグレード2のオイル、そして最後にさらに16時間もついやしてとるのがグレード3のオイルである。最高品質のエクストラシュペリアーオイルが最も薬理効果が高いのは言うまでもない。
このグレードの低いイランイラン油は、エクストラシュペリアー、エクストラの各精油の増量剤としてよく使用される。ガージャンバルサム油も増量剤として使われるが、これはα-グルユネンがあることで、検査すればそれとすぐわかる。偽和(要するにニセモノをつくること)は、安物のオイルに合成化学物質のバニリン、p-クレシル-メチル-エーテル、メチルベンゾエート、ゲラニオール、イソゲラニオール、イソサフロール、ベンジルベンゾエート、ベンジルアルコール、ベンジルプロピオネート、シンナメート、アニシルアセテート、アニシルアルコール、コバイバ油、ペルーバルサム油その他の天然精油などを、どしどし添加して行われる。安物のイランイラン油には、アロマテラピー効果などを期待するほうが愚かである。第一、その香り自体、下品そのもので、こんなものを用いてつくった香水や香粧品などを嗅いでいると、私などは吐きけを催し、卒倒しそうになってくる。残念ながら市販の「イランイラン油」はほとんどこのようなニセモノである。
最高級のイランイラン油ならばだが、鎮痙作用、抗菌作用、抗真菌作用などがある。さらに、その『催淫作用』は有名だ。 これは脳に影響を与えることで、CNV(随伴性陰性変動)のデータの観察によっても確かめられている。したがって、この精油もローズマリー油同様に脳の老化を遅らせる効用もあるのではないか。
 
付け加えると、これからシリーズ的に各種の精油をご紹介するが、お読みになる方には「すべての希望を捨てよ」といいたくなる。つくづくこの業界の人間には、安い原価でつくったニセモノを高く他人に売りつける業者が多いと感じないわけにいかない。精油を見たらニセモノと思え、といわざるを得ない、と悲しい気持ちになる。ただまあ、香料用だと言われれば仕方ないが。
 
ルネ=モーリス・ガットフォセのころはもとより、あるいはジャン・バルネ博士の時代でも、今日にくらべれば、偽和の技術は幼稚であったからこそ「アロマテラピー」などというものを考えることができたのだと思う。
ロシアから精油に合成アルデヒドを加える技術をもたらし、「シャネルの5番」をつくったエルネスト・ボーに呪いあれ!と叫びたくなる。もちろんこれは、アロマテラピーの観点から見れば、ということである。

2013年7月12日金曜日

塩田清二 著『<香りは>なぜ脳に効くのか』について

タイトルの本の題名は、NHK出版新書から、塩田清二氏(昭和大学医学部教授)が昨年出された本の題である。アロマセラピー学会理事長をつとめている方だそうだ。

たいへんわかりやすく書かれた書物だと思った。「はじめに」の項で、宗教と香り、ないし香(こう)との関係が記されているのも興味深い。

ただ、カトリック・ギリシャ正教に触れるならば、別の部分でもよいから、この両者の終油の秘跡(ひせき)についても述べて頂きたかった。

カトリックでは、人が死んでからその額に香油を塗る。しかし東方正教会ではまだ生きている瀕死の人間の額に香油を塗る。

私は、このほうが「芳香療法」のプロトタイプに、より近いのではないかと思う。なお、東方正教会では「秘跡」とはいわず「機密(きみつ)」と呼んでいる。

まあ、著者の先生がアロマセラピー学会理事長ということもあって、「アロマセラピー」という用語を採用されたのだとは思うが、やはり現代の芳香療法の名付け親であるルネ=モーリス・ガットフォセの作ったAROMATHERAPIEということばの発音に、より近い、「アロマテラピー」を使用して頂きたかった。


ここで、「フランスやベルギーでは長らく医療行為として認められているアロマセラピーですが」ということばがある。どういう根拠に基づいてこう言われるのか。

まず、フランスでは、現在ではアロマテラピーに不可欠な精油は、たとえばパリなどの薬局にはない。また、精油も健康保険が適用されている「薬剤」ではない。フランス・ベルギーの薬局方で、すべての精油が認められているとは、とうてい信じられない。責任あるご発言をお伺いしたい。

また、そのすぐあとに「リラクゼーション」という聞き捨てならないコトバが出てくる。塩田氏は、人間はrelaxすることはご存知だと推察する。これにいちばん近い日本語発音は「リラックス」だろう。

relaxするのは、「くつろぐ、息抜きをする、レクリエーションする等々」にあたる行為をすることだ。

人間には、リラックスは大切だ。けれどもリラッグズする人間はいないはずである。もしいたら、それは人間の「クズ」だろう。

塩田氏はきっと、relaxation という英単語にお接しになったことがないのだろう。一度、ぜひ英和辞典で信頼のおけるものをじっくりと読んでいただきたい。relaxation は、英国と米国とでやや発音が異なる。しかし、リラクゼーションという発音記号が載っている権威ある辞典があったら、ぜひご教示をお願いしたい。人間はリラックスする、だからその名詞形はリラクセーションを措いて存在しない、と思うからである。

このリラクゼーションなる異様なコトバは、はっきりいって大都会の歓楽街で、ヤクザが経営する、いかがわしい不潔なファッションヘルスで作られたコトバだ。アロマテラピストも同断である。これらは英語でもフランス語でもドイツ語でもない。珍無類の日本産のコトバだ。塩田先生のご人格を疑わせないためにも、リラクゼーションは、なにとぞおやめ頂きたい。この本には、何箇所もこのコトバが登場するので、あえて失礼を承知で申し上げておきたい。

香りが脳に及ぼす影響が大きいことは、きわめて興味深い事実である。
たとえば、室町時代あたりから日本で広まった(もとより一部の人間にかぎられているが)香道では、伽羅(きゃら)、羅国(らこく)、真那伽(まなか)、真南蛮(まなばん)、佐曽羅(さそら)、寸聞多羅(すも[ん]たら)の六国(りっこく)の香を一定のルールでたき、一種のゲームとしてそれを鑑賞する(聞香[もんこう]という)のだが、これらのいずれの香にも、それぞれ薬理効果があり、一通りの聞香を終えた人間は、みな心底リラックスするとともに、この上ない、生まれ変わったようなさわやかさを覚える。そして、とくに強調したいのは、この香道の師匠は、いずれも心身ともに健康で、脳を絶えず刺激するせいか、年齢を重ねても、認知症などとは無縁で、長寿を保つ人びとが多いということである。

この香道に立脚して、というか、これを利用したのが秋田大学の長谷川直義先生の聞香療法である。長谷川先生は、この療法で中年女性らの不定愁訴に対処されたと聞く。

日本発のアロマテラピーとして、この話をぜひご解説願いたかった。欧米人も、これに強い興味を寄せている。

今回は、この本の冒頭部のみの感想に終わってしまったが、内容についても追ってじっくり勉強させて頂き、感想を述べさせていただくつもりでいる。

2013年7月11日木曜日

ニセモノについて

私はかつて、有料ボランティアということばにぶつかって、仰天したことがあった。

私は自分をコトバ屋だと思っている。コトバというものが、もとより事実を100パーセント正確に表現できるものではないことは、百も承知二百も合点だ。この原則は、私たちが日常接したり、使ったりしている日本語だけではなく、英語でもフランス語でもドイツ語でもロシア語でも、あらゆる言語に共通して存在している(それぞれカタチは異なるだろうが)。

だから、インチキ屋、あらゆる方面のインチキ屋は、それぞれの言語の特質に応じて、それを利用して、とんでもないウソを言ってきた。

たとえば、これは笑い話みたいだが、そのむかし、江戸城内にも天気予報士みたいなのがいて、「明日は雨が降り申す 天気ではござらぬ」などと言っていたそうだ。「あしたは雨が降ります。お天気ではありません」と、このことばを解釈すれば、あくる日が雨天ならば予報があたったことになるし、「明日は雨が降る天気ではありません」と解すれば、翌日がもし晴天に恵まれた日になれば、それはそれで予報的中ということになる。

しかし、最初の有料ボランティアは、私にはどうにも受け入れがたい。だいたい英語でいうvolunteerは、一般に、志願者、有志者、他人から強制されず、自発的に公共の業務に服する(というか、買って出る)人間と解され、語源はラテン語のVOLUNTAS (ウォルンタス、意思、意図、決心)からきている。

もちろん、人からやとわれて金銭のために働くのではなく、他人に強制されて作業や軍務などに服するのでもなく、自分自身で「これはどうしても私がやらなければならない」と考えて、ことにあたる人間、それが「ボランテイア」だ。仕事の対価めあてに、あるいはそれをもらって何かの作業にあたる人間をボランティアとは決していわない。

私には、こんなことばを英訳・仏訳できない(よほどの説明をクドクドと付け足さない限り)。

だって、白い黒板(ホワイトボードは、べつものだ)、真紅の白バラなど、あなたはイメージできるか。これを「形容矛盾」と呼ぶ。有料というコトバとボランティアというコトバを並べるのも、それとまったく同様のコトバの使用上のルール違反である。単なるアルバイトと呼ばなければ、こんな連中には通用しない。

NPO(non-profit organization、非営利団体)という組織が、いくつもある。 本来、米国で戦後さまざまな形態をとって生まれたもので、非政府、非営利をうたった、公共目的でのボランティア活動が主たる目的である。詳しいことは省くが、税制上の優遇措置・郵便料金の大幅な割引などが認められており、日本でも1995年の阪神淡路大震災以降、特定非営利活動促進法が作られ、NPO法人がいくつもできた。

米国でのNPO法人(いとも簡単にこの法人格が得られる)のことはよく知らない。日本のNPO各組織は、多くは公共的な目標を掲げ、諸方面からの寄付金、補助金、助成金をもとに活動を展開している。

そのほとんどは、まともな目的のために、利益などを考えずに営々と努力を重ねているが、 一部には諸団体からの寄付金を芳しからぬ用い方をしている怪しげなNPO法人もあると聞く。もし、このうわさが本当ならば、まともなNPO法人の面汚しとも呼ばれかねまい。

万一、そんな組織があれば、まさにニセモノNPOだろう。それが根拠のないうわさであってほしいと切に思う。

しかし、そんなことよりもっともっと許せないのは、そもそも公共的法人をうたいながら、アロマテラピーを、正確にいえばアロマテラピー団体会員としての資格を与えることを商売として、大金をせしめている協会が、毎年試験を受けさせ、受験料を人びとから集め、会員費をとって、さらにもうけていることである。そこで安月給で働かされている職員は、その団体が大きな金庫に何億もの大金を唸らせているのをちゃんと見ている。

会員費を毎年支払わないと、その団体で講習を受けて得た資格をエゲツなく奪い取る。英国のIFA(国際アロマセラピスト連盟)も同じことをやっていることを私はすでに確かめた。
日本でも英国でも、エゲツない人間にはこと欠かないとみえる。これも、私は一種のニセモノだと思う。こんな組織にアロマテラピー団体だなどと名乗ってほしくない。そもそも、そんな資格など、彼らにはない。

ルネ=モーリス・ガットフォセ、マルグリット・モーリー、ジャン・バルネ博士らが今日の英国・日本のアロマテラピー商売を見たら何というだろうか。私も遠からずあの世(とやらいうものがあれば)に行く身だが、このままでは彼らにあわせる顔がない。彼らに「お前は30年近く何をしていたのか」と罵倒されても返すコトバが見つからない。

精油もニセモノだらけ、最近のアロマテラピー関連図書も、その本のコトバを見れば、その著者のアロマテラピー理解がいかにも薄っぺらで、かぎりなくニセモノに近いものばかりだと一目でわかる。各精油販売会社で出している精油のびんをカラー写真で本に掲載することにどんな意味があるのか。私は安ものの金属に金メッキしたアクセサリーを眺めるような、はてしない虚無感に襲われてどうしようもない。ニセモノ、ニセモノ、ニセモノ・・・・・・

一度、ジャン・バルネ博士の本を、マリア・リズ=バルチン博士の書物(ほかにもいろいろある)などをじっくり読み直してほしい。○○協会会員なんて、私はアロマセラピストのニセモノであるといわんばかりの肩書きなど、なぜあなたに必要なのか。よく考えてみて頂きたい。

2013年6月25日火曜日

新しいアロマテラピーを目指して

五月に刊行し、発売停止という、出版物としては稀な目に遭遇した私の著書、『誰も言わなかったアロマテラピーの《本質(エッセンス)》 のその後について、ご報告しよう。

私は28年ほど前に、アロマテラピーを日本にはじめて体系的に紹介し、人びとに外国で刊行されたアロマテラピーを研究して、それを人びとに教え、小型の蒸留器で精油の抽出をしたり、英仏をはじめ、米国・オーストラリア・スイス・ドイツを訪れて、精油の原料植物を手にとって調べたり、外国で各国の研究者たちに、英語で自分の研究成果を発表したりしつづけてきた。

私は、本に印刷されたことを読んで、それをすべて真実だと信じ込む幼稚園児クラスの頭の持ち主ではない(おっと、これは幼稚園のこどもたちに失礼なことを言ってしまった)。

私は、ときには、日本だけでなく、諸外国の研究者たちのさまざまな立場から書かれた文献を熟読し、それぞれが信じるにたりるものであるかをあらゆる角度から丹念に検討し、可能な場合には外国の研究者に、じかに面会して、諸問題をできるかぎりつまびらかにする作業に明け暮れた。稼いだ金もすべて研究に費やした。

私は、外国の書籍を翻訳する際には、原則として、その原著者に直接面会して、さまざまに質問して、疑問を氷解させた。私の質問に、原著者が「これはまずいですねえ」といって、原書の文章を私の目の前で書き直したことも何度となくあった。そうした事情を知らぬ読者のなかには、「ここは訳者が誤訳している!」と、鬼の首でもとったように思ったかたもいただろう。

直接、原著者に面会して、ろくにものも知らぬ通訳などを介さずにお互いの意思を通わせるほど、相手の真の姿に接近するよい方法はない。アロマテラピーの専門家と称して、自分の知識を派手にひけらかしている人物が、あってみると、あらゆる意味で薄っぺらな人間だとわかったことも再三あった。英国のアロマテラピーの元祖といわれる男も好例だ。

一言でいうのは困難だが、相手と話を重ねて、その相手と「心の波長」を合わせるのだ。
すると、その人間自身も気づかぬ「何か」が読めてくるのである。
これがまた面白い。アロマテラピーとは直接関係ないことなのだが。

さて、私の著書『誰も言わなかったアロマテラピーの《本質(エッセンス)》』 を、あるアロマセラピストらしき女性が批評して、「この著者はアロマテラピーを勉強したらしいが云々」といっているのを読んで、私は思わず吹き出した。

ねえ、あなた。私がいなければ、今日のあなたも存在しないのですよ。そのことがまだおわかりになりませんか。もうよそう。「バカとけんかするな。傍目(はため)には、どちらもバカに見える」というから。

この本をめぐっての話は、前にしたとおりだから省く。

でも、さまざまな圧力に堪え、私の原稿を製本までしてくださった出版社の社長の勇気と信念には本当に感謝している。妨害と闘いつつ、アマゾンと楽天でこの書物を社長に販売していただいたおかげで、北海道からも沖縄からも、全国的に声援が送られてきた。各地から招かれもしている。本にかけなかったことを、日本全国で存分にぶちまけるつもりだ。

やはり、いまの日本のアロマテラピー界のありようには、おかしなところがある。変な部分がある。資格商売で、公共の利益をうたう法人でありながら、許されないはずの金儲けを大っぴらにしている協会がある。自分の使っている精油はインチキではないか、などと疑いはじめた人が、いま、全国的にひろがっている。

協会や精油会社などで既得の利益収奪権を必死に守ろうとしている連中が、ほうっておいてもどうということもない、私のささやかな著書を圧殺し、断裁しようとして血相を変えているのも考えればすぐその理由がわかる。

アロマテラピーを真剣に、まじめに学ぼうとしている全国の方々に呼びかける。
「あなたの財布だけを狙う、インチキ協会に、インチキ精油会社に、インチキアロマテラピースクールにだまされるな!」と。

日本で、いちばん早くから、いちばん深くアロマテラピーを究めてきた私だ。その私が、いま、はっきりいおう。いまのアロマテラピーの世界には、変なところ、怪しいところ、狂ったところがある。

ルネ=モーリス・ガットフォセの唱えた最初のアロマテラピーの、マルグリット・モーリーの唱道したエステティックアロマテラピーの、そして、ジャン・バルネ博士の植物医学的アロマテラピーのそれぞれの哲学を、今こそ見直すべきだ。

日本○○協会セラピストの資格をとるための、くだらぬ受験参考書などは捨てよう! 私たちは、もっともっと別に学ぶべきことがある。

それをしっかり念頭において、アロマテラピーをみんなで力をあわせてフレッシュなものに生まれ変わらせよう!

2013年6月18日火曜日

正しく表現することの重要さ

何であれ、ものごとは、できるだけ正確に把握し、理解し、それを表現しなければ、あとあとまで人びとを誤解させてしまう原因になる。

私は前述した著書のなかで、ルネ=モーリス・ガットフォセが「アロマテラピー」を着想するキッカケとなった「火傷事件」の真相を詳しく述べた。

このこと自体は、さほど重要なことではない。しかし、この事件すら正しく知らない人間が、アロマテラピーを的確に把握しているとは信じられないので、この事件について、関係者からできるだけ詳細にその真相を問いただした次第だ。

私の学んだ大学は、外国文学や外国語にウエイトをおいて勉強した。
それをもとに、私たち学生は、原文で世界の名作を厳密に読み、文学にせよ、哲学にせよ、名訳として通用しているものがいかに誤訳だらけかを思い知らされた。

また、人名の発音も、インチキが多いこともわかった。

たとえば、大デュマの傑作の『モンテ・クリスト伯』の主人公のダンテスの不倶戴天の仇の一人、Morcerf伯(かつてのフェルナン・モンデゴ)は、「モルセルフ」と発音すべきなのだが、どの本も岩波文庫の山内義雄訳を踏襲しているため、「モルセール」という誤った発音がまかり通ってしまった。

ものごとは可能な限りに正確に表現すべきだということは、私は経済学の先生から教わった。
私たちは、お金を出し合い、大学当局にかけあって教室を確保し、他大学の有名な経済学の教授にお願いしてプライベートな講義をしていただいた。

先生は厳密かつ、科学的に経済学用語を使うことの大切さをじっくり説かれた。
ひとしきり話がすんだところで、先生は突然、

「私は、大便をしたいのですが」

といわれた。
私たちは誰ひとり笑うものなどなく、

「先生、ダイベンでございますね。ショウベンではございませんね」

ときっちり、先生に確認して、便所にお連れした。化粧室だの手洗いだのというあいまいな表現はいけないということを、先生は身をもって示されたのだ。

「言行一致」とはまさにこのことである。

私たちは、みな粛然としていた。

先生の大便は時間がかかった。長かったなどというと誤解を生じかねない。

翻訳をなりわいの一部にするようになった私は、言語表現自体としては問題があろうとも、原著者の心を心として、その考えを力の及ぶかぎり正しく読者に伝えることに心血を注いだ。

「文字は殺し、精神は生かす」ということばがある。それを体しつつ、「大便はダイベンなり」をモットーとして、私はさまざまな言語と分野との翻訳に努めてきたし、これからもそうしていくつもりである。

2013年6月7日金曜日

マルグリット・モーリーのこと その2

マルグリット・モーリー(1895~1968)は、世紀末のオーストリア、ウィーンで生まれた。

父親は羽振りのよい実業家で、ウィーンで活動していたクリムトら世紀末芸術家のスポンサーまでやっていたが、事業の失敗から自殺し、残された妻子は苦しい生活を強いられた。

しかしマルグリット(正式にはマルガレーテ・ケーニヒ)の偉いところは、父親のように人生を投げ出さず、苦しいい生活を送りながら、懸命に医学の勉強をし、外科医の助手になった。これは当時の女性のつける最高の職種だった。

話は前後するが、父を失ったマルグリットは10代で結婚し、こどもも生まれた。

しかし、第一次大戦で夫は戦死し、こどもも幼くして亡くなってしまった。マルグリットは、その児の写真を生涯肌身離さなかったという。ちょっと泣かせる。

こんな辛い境遇にありながら、必死で難しい医学の勉学に打ち込んだマルグリットは偉かった。女性としての辛さと戦い、女性のハンデを逆手にとって、医学的教養をもつエステティシャンとして、再婚した夫のひたすらな援助のもと、コスメトロジーに新境地を開いた。今日のエステティシャンで、彼女ほど勉強し、技術を磨いた女性はいるだろうか。

とても男には真似できないしぶとさ (男は弱いからこそ、逆にいばってみせているのだ)ですよ。
ここではしなくも彼女はルネ=モーリス・ガットフォセの唱えた「アロマテラピー」なる自然療法を知ることになった。それからのことは、前述したので、今回は省略させていただく。思いついたらまた書く事にする。

2013年5月29日水曜日

ジャン・バルネ博士のこと

知る人は少ないけれど、ジャン・バルネ博士のアロマテラピーの特徴は、それをパクッた英国のロバート・ティスランドなどのそれと違い、このテラピーを「アトミックな植物療法」と呼び、植物療法の一つと完全に割り切っている点。なにか特別な「魔術的」空気を使う英国アロマテラピーとは、本質的に異なる「科学を逸脱しない」療法であることが、その名著『バルネ博士の植物芳香療法』を読めばすぐわかる。
つまり、博士にあっては植物療法=薬草療法+アロマテラピー(アトミックな植物療法)ということ。現代のアロマテラピーの出発点は、1937年のガットフォセの本というより、64年に初版が刊行されたバルネ博士のこの書物だ。これに注目していたらアロマテラピーと植物療法とは二にして一であることがわかっていたはずで、この原点に今こそ博士とともに帰るべきなのだ!(り)