2013年8月14日水曜日

アールヌーヴォーの衝撃①

19世紀の後半、東方から(ある英国人は、私に、中央アジアのサマルカンドあたりからではないか、となかば真剣に言っていた)、一陣の魔法の風が、ロシア、オーストリア、フランス、そして英国に吹き寄せてきた。そして、この風は大西洋を渡って米国に、さらには極東の日本にも及んだ。

この風は、建築・家具・ガラス工芸・宝石細工・ポスター・挿絵など、人びとの身のまわりのもののデザインにまずあらわれた。

この様式、あるいはそれを生み出した風潮を、まとめてフランス語で《Art nouveau》アールヌーヴォー-すなわち、新しい芸術と称する。フランス・ベルギーのフランス語圏では《Style nouveau,スティルヌーヴォー》、《Style moderne、スティルモデルヌ》とも呼んだ。前者は「新しい様式」、後者は「モダン様式」を意味する。ドイツでは《Jugendstil》ユーゲントシュティル(青春様式)と称した。

各国の貴族社会が崩壊しつつあったこの時代、資本主義はいちだんと発展し、都市化・工業化がヨーロッパ各国で進展した。

各国の芸術家は、工業社会がもたらす醜悪な生活環境に抗議し、新しい酒を満たすのにふさわしい新しい皮袋を創り出そうとした。

しかし、この「魔法の風」は、それにふさわしい不思議な吹き方を幾重にもわたってした。

アールヌーヴォーが最初にあらわれたのは、産業革命が各国に先駆けておこった英国である。それだけ工業社会の空気と芸術との矛盾が、あるいは乖離(かいり)が甚だしかったためだ。19世紀のなかばに「ラファエル前派」そのほかの芸術上のさまざまな動きからはじまったこの風潮は、いろいろな芸術家の手で本の挿絵(ビアズレーなど)、ガラス器、銀器、家具などにおいて、すべての面でスッキリした曲線をもつものとして(つまり従来の自然主義・アカデミズムのアンチテーゼとして)具象化された。

この風潮はすぐにベルギー・フランスに波及し、エミール・ガレがこの時代思潮にみちたガラス器、ルネ・ラリックは宝石細工に、自然を美しく造形化した作品をいくつもつくった。

こうした作風は、パリの地下鉄の入口のデザインにも取り入れられ、パリの風物詩となった。エッフェル塔も、いかにも近代を感じさせる素材の鉄を用いて、パリの空を斬新な線で切った。

スペインのバルセロナで、いまだ建築中の大教会堂の「サグラダ・ファミリア」などで高く評価されつづけているスペインのガウディーもこのアールヌーヴォーの理念を生かして、これまでの建築物の概念をがらっと変えてしまった天才の一人だ。

絵画やポスターなどの方面で有名なアールヌーヴォー派は、チェコの(当時オーストリアの統治下にあったので、オーストリアのといわれることが多い)アルフォンス・ミュシャの演劇の主催女優の美しさをくっきりした線でえがきだしたポスターは、フランスの名女優サラ・ベルナールらの視線をひきつけ、人びとの非常な人気を集め、オーストリアのクリムトの絵画は、装飾的・官能的な 女性像を多く残した。金箔(きんぱく)を多用した『接吻』と題する新しい絵画は、きわめて華麗な平面的な(ここに当時の日本趣味が底流としてあったことも忘れてはならない)、いままでのアカデミックな絵画とはまったく異なる次元の空間を出現させた。パリのミュージックホールなどのポスターで有名なトゥールーズ・ロートレックの名も落とせない。

こうした19世紀後半から20世紀初頭にかけての時代精神(ドイツ語でいうZeitgeist)は、音楽の世界にもひろがっていき、ドビュッシーやラベルそのほか無数の音楽家に、聴く人々を夢幻の世界、心をこよなく陶酔させるエクスタシーの境地に導く楽曲をつぎつぎと生み出させることになった。

絵画にせよ、音楽にせよ、いままでのアカデミックな世界の創造をめざしてきた芸術家たちは、いっせいに表現の方向を変えていった。19世紀初頭に写真が発明されて多くの画家たちに 「絵画は死んだ!」といわせ、嘆かせた絵画を、写真では描写できない甘美な絵画のみが再現できる世界、古い世の崩壊の予兆をひしひしと実感させる世界を、人々に実感させようと気鋭の画家たちはキャンバスの上に、ポスター類の上に表現しようと考え、工夫をこらした。

音楽家たちも、いままでのアカデミックな世界から人を夢幻の世界に拉しさる曲をつくるようになった。ドビュッシー、ラベルその他 多くの音楽家たちは、いままでの官廷で演奏されてきたような古典的な楽曲ときっぱり縁を切り、一般の人々を音で酔わせるメロディーをつぎつぎに奏ではじめた。

私は、この時代よりやや遅れて登場した日本人画家の佐伯裕三(さえき・ゆうぞう)が、渡仏して、自分の作品をフランスの大画家に見せたところ、“Cet académisme!(何だ、このアカデミズムは!)”と、嘲るように一喝され、愕然とし、時代の変遷を豁然と大悟して、以後その画風を一変させたというエピソードをいつも思い出す。

今回は、ここまでにし、いよいよこの風潮が一体に結集した「バレエ・リュス」について、次回お話ししようと思う。

これこそが、アロマテラピーに深甚な影響を与えた一大イベント、二度と再び世界の人びとが体験することはない空前絶後の芸術のフェスティバルだったからだ。

このフェスティバル (これは、あまりに俗人の手垢がついてしまったコトバなのだが)ないし、近代芸術の「総結集」こそが、現代のあらゆる芸術の母体となった。

私自身の気分をここで一新させ、稿をあらためなければ、このバレエ・リュスについて語り尽くせないことを、なにとぞご了承いただきたい。次回をお楽しみに。

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